これは、藤原氏の氏神である春日大社の権現(仏や菩薩(ぼさつ)が化現(けげん)した姿)、すなわち春日明神の利益(りやく)など霊験譚(たん)を、詞書(ことばがき)と絵によって表現した鎌倉時代を代表する絵巻である。
左大臣の西園寺公衡(きんひら)が、春日大社詣でで利益を得たこと、並びに一門の繁栄の感謝とさらなる繁栄を祈念して、この絵巻の制作を企てた。身分から考えれば驚くべきことであるが、詞書を摂関家の一つである鷹司(たかつかさ)基忠(前関白)父子4人に依頼している。当時、西園寺家が朝廷と幕府の調整を担う役職を長く務めており、宮廷において隆盛を誇ったことが偲(しの)ばれる。絵は、宮廷の絵所を統括した絵所預(あずかり)の高階隆兼(たかかね)が担当したことが、付属の目録などより明らかにされている。大和絵技法による精緻な描写は極めて鮮やかである。当時の風俗を知る史料として貴重であり、保存が難しい絹地の全20巻の絵巻が完全な姿で現存しているのは極めて珍しい。
この図版の部分は第2段目にあたる。明恵上人(みょうえしょうにん)が中国に渡るのを留(とど)めるために春日明神が現れる場面である。この詞書は基忠の子で、興福寺の僧である一乗院良信の筆。良信もそうであるが、公家の子弟が畿内の大きなお寺に入ることが多かった。当然、書は公家にも、僧侶にも重要な素養であった。ところで、末尾の部分に見える「本よりたかき所に/あれば、つくべきものを引あぐるなり」とある「引」という字に注目してほしい。この字だけを見ると旁(つくり)の部分が長く、上の右にやや流れた「を」の最終画とほとんど接触している。ところが、全体の流れで見ると、極めて自然である。行は右に流れてはいるが、「引」の文字がしっかり受け止めて、次の「あ」が「引」の懐に入ることによって行を引き締めている。
また、来月に掲載予定の「金沢本万葉集」の「引」(挿図)とも比較すると、極めて類似した字形なのである。「金沢本万葉集」は世尊寺家の第5代定信(生存確認期間、1088~1154年)の筆。つまり、150年ほどの時間を経て、ダイナミックな筆致と、字形の類似、それも旁が大きいところまでも受け継いでいる。こうした書の字形が、時代を超えて伝承することにも注目してほしい。書の魅力は字形と線質であり、単に字形を受け継ぐだけでは模倣に終わるが、これには鎌倉時代の書の力強さが見える。
また、絵巻の詞書は、今で言う調和体、漢字仮名交じり文のハシリとも言える。正しくは「仮名法華経切」など先行する遺品もあるが、伝存する量としては圧倒的に絵巻が多い。こうした絵巻の詞書にも、調和体作品の創作へのヒントがある。
この作品は本来、春日大社に秘蔵されていたものであるが、江戸時代に流出した。その後、鷹司家が入手し、明治初期に皇室に献上された。皇居三の丸尚蔵館の「公家の書」において、11月24日まで展示されている。
2024年11月18日 毎日新聞・東京朝刊 掲載