安宅切本和漢朗詠集 伝源俊頼筆 平安時代・12世紀 26.9㌢×777.1㌢ 文化庁蔵(皇居三の丸尚蔵館収蔵)

【書の楽しみ】
変化する料紙と空間的センス

文:島谷弘幸(国立文化財機構理事長・皇居三の丸尚蔵館長)

 これは藤原公任が撰述(せんじゅつ)した『和漢朗詠集』の巻下のみの零巻である。零巻(零本)というのは、一部が残っている巻(冊)のことである。『和漢朗詠集』は、巻上が四季と季節の風物を詠じ、巻下は旅の思い出、さまざまな身分の人間、慶賀や祝いなどの喜び、さらに恋や無常を詠じたものである。自然や人々の営みが詠まれていることから、宮廷貴族に尊重された。

 この作品は、行旅、帝王、丞相(しょうじょう)、将軍、刺史、王昭君、妓女(ぎじょ)、遊女、老人、交友、懐旧、述懐、慶賀、祝、恋、無常、白の部分が現存している。巻下は全部で408首であるが、この「安宅切」には131首が所収されている。ほかに確認される断簡が40首程度なので、この零巻の重要性は際立っている。

 さて、「安宅切」の書であるが、見られるように比較的太い線質で書写されると同時に、リズミカルで歯切れの良さが特徴である。一見して、藤原行成の孫・世尊寺家第3代伊房(これふさ)(1030~96年)の筆とよく似た雰囲気を持っている。伊房と近似する書として、その孫・定信(1088~1154年)の華麗な料紙に執筆された「石山切貫之集」や「久能寺経譬喩(ひゆ)品(ぼん)」などが知られる。定信の書は一字一字の字形にとらわれず、全体の流れや躍動美を追求している。また、伊房の甥(おい)で興福寺の別当を務めた済円の書として明らかにされた「是則集」(静嘉堂文庫美術館蔵)がある。これまた、金銀の砂子・切箔(きりはく)を一面に撒(ま)いた豪華な料紙を用いている。この「安宅切」はいずれとも同筆でないが、伊房の書の雄渾(ゆうこん)さ、筆力の強さだけではなく、字間と行間をたっぷりとり、ゆっくりとした運筆で揮毫(きごう)している。その空間処理のセンスにより、優美な趣をも感じさせ、伝統を活(い)かしながら独自の書風を展開している。

 私は、この「安宅切」の筆者として、伊房の子の定実(さだざね)の弟にあたる延暦寺の僧の快覚(かいかく)の可能性を示唆した(拙論、『三の丸尚蔵館紀要』第4号)。この「安宅切」は、書の時代性と個性の展開を考える上で、極めて貴重な作品である。

 縹(はなだ)、薄縹、薄紫、茶、薄茶に、時折、組み合わせた藍と緑の料紙の変化が美しい。その上に細長い土坡(どは)と草叢(くさむら)に群れて飛び交う可憐(かれん)な小鳥を、金銀泥で細やかに描いている。平安時代の巻物は、50㌢あまりの料紙を継ぐのが通例であるが、この「安宅切」はおよそ半分の色変わりの料紙を継ぐという稀有(けう)な遺品である。ほかには陽明文庫所蔵の「近衞本和漢朗詠集」が知られる。加えて、その色変わりとともに、雲紙を織り交ぜ、鑑賞する際の変化の妙をも考慮している。

 明治11年に、近衞忠煕(1808~98年)が小野道風筆「玉泉帖」、「粘葉(でっちょう)本和漢朗詠集」、「本阿弥切本和漢朗詠集」などと共に皇室に献上した。この作品は皇居三の丸尚蔵館の「花鳥風月」の展示において、10月20日まで展示されている。図版の部分は、「妓女」の部類で、秋の夜月などを詠じた部分である。書の美とともに詠まれた漢詩も合わせて鑑賞してはいかがでしょうか。

2024年09月15日 毎日新聞・東京朝刊 掲載

シェアする