【書の楽しみ】
鬼才の鋭い空間感覚

文:島谷弘幸(国立文化財機構理事長・九州国立博物館長)

 今回は、以前「書の美」で紹介した葛飾北斎(1760~1849)の筆になる「日新除魔図」の一図で、線と造形、そして空間構成と余白の美について眺めてみよう。

重要文化財「獅子の図(十二月十四日)」(日新除魔図のうち)葛飾北斎筆紙本墨画台紙貼付 219枚のうち19.4センチ×27.9センチ 九州国立博物館蔵

 北斎については今更であるが、最近ではパスポートの査証の背景にも、版画の「富嶽三十六景」が用いられており、日本人なら大半の人が知っている著名な絵師である。おそらく外国で、一番有名な日本人の絵描きと言えるかもしれない。

 美術商として著名な坂本五郎氏の没後に遺族によって寄贈された作品の一つで、いつもは月毎(つきごと)に、九州国立博物館の第1室(寄贈者顕彰室)で順次展示している。今回は九州国立博物館で特別展「北斎」が企画されて、6月12日まで全図が展示中である(着彩の9月12日分は5月15日までの展示)。北斎の自序によると、天保13(1842)年から翌年にかけて「日新たに魔を除く」ことを願って、日課として獅子のさまざまな姿を描いた図を貼り集めた画帖(がじょう)であることが分かる。タイトルもこの序文によるもの。ただ、概(おおむ)ね、1日1頭の獅子を描いているが、3月には1図に3頭を描き3日分としたものが3枚、4月には4頭を描くもの、11月、12月には2頭を描くものなどがある。春夏秋冬の4組とし、帖仕立てにしている。総数が219枚で、帖にする前に一部分が流出したことがうかがわれる。何より、比較的自由に描いているのが大きな特徴である。通常、絵師は注文を受けて制作するものであるが、これは自らが除魔のために描いたものであることに注目してもらいたい。

 この図は、ラフなタッチで一気に描かれている。一方の日付の書は隷書の書体で「天保十三寅十二月十四日」と揮毫(きごう)する。ゆっくりと筆を運んで、絵と対比を見せながら調和させている。中央の左の脇腹にあたる力強い斜めの筆線が眼(め)に飛び込んでくる。それに続くカールした毛並みから右に靡(なび)く尻尾(しっぽ)のウエーブの曲線も美しい。眼光の鋭さと厳しい表情を剛柔の筆で巧みに描き、左右の前足がしっかりと地面をつかんでいる。今にも飛びかかろうとする獅子の動きを淡墨で描いている。濃淡の墨の扱い、太細の線の変化、直線的な線と曲線の積み重ね、墨量の変化と、書と画はその感覚を共有することができるのである。

 また、絵を描いた後の右上の大きな余白に、日付を加えるに際して、他の図以上に丁寧な筆致で書き進めている。「天」の左払いは必要以上に長く、右払いもそれに呼応している。「保」を「天」の懐に入れることで字間を引き締めている。また、「十」の文字が3カ所あるが、微妙に書き分けており、北斎の線と造形に対する感覚の鋭さがうかがえる。加えて、日付の「十四日」を改行し、獅子の尻尾とのバランスを取っている。仮名の散らしの行頭の変化と同様の空間感覚を見せている。

2022年5月15日 毎日新聞・東京朝刊 掲載

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