小樽市文化財審議会の駒木定正会長は「石だけを積み上げた純粋な石造りの建物は国重要文化財としても数少ない」と語る=宮間俊樹撮影

 北海道小樽市の旧日本郵船小樽支店は、歴史上重要な会議の舞台となった。日露戦争後、樺太(サハリン)の領有区域を決める「樺太境界画定委員会」が開かれた。今春、保存修理工事を終え、約6年半ぶりに一般公開が再開された。

日露戦争後、日露両国の「樺太境界画定委員会」が行われた会議室=宮間俊樹撮影

 日露戦争後の1906(明治39)年に完成。設計は工部大学校造家学科(東京大工学部建築学科の前身)1期生の佐立七次郎。「日本近代建築の父」とされる英国人建築家、ジョサイア・コンドルに学んだ。

 外壁には年輪のような横じま模様が所々に入った地元産・小樽軟石を使っている。装飾部には違った色合いの登別中硬石があしらわれ、コントラストが際立っている。ポーチ付きの正面玄関を中心に左右対称に構成されており、重厚な雰囲気が漂う。

 1階の営業室は木製カウンターが客だまりと執務空間を区切る。カウンター天板から延びる柱にも装飾を入れるなど古代ギリシャ建築の影響も垣間見える。2階の会議室と貴賓室は、立体文様が特徴の「金唐革紙」が壁紙に使われ、往時の繁栄がうかがえる。

旧日本郵船小樽支店の1階にある営業室と客だまり=宮間俊樹撮影

2025年7月6日 毎日新聞・日曜くらぶ 掲載

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