福岡県うきは市吉井町は、かつて精蠟(せいろう)(ワックスなど)や酒造、菜種製油などで栄えた。
同市によると、同町の「居蔵の館」(旧松田家住宅)は精蠟で財をなした大地主の住宅だった。壁や軒の裏までしっくいが塗られている。2階の雨戸は銅板で覆われており、火災に強い。一帯は江戸期から1869(明治2)年にかけて3度の大火に襲われており、その教訓から延焼しにくい造りになったという。
中に入ると、奥行きのある土間が広がる。奥の土蔵まで荷馬車が行き来していたようだ。客が出入りしていた玄関は別にあり、豪華だ。神棚の上部は「神様の頭上を踏むことがないように」との配慮から、吹き抜けになっていた。浴室の天井には板を少しずつずらした隙間(すきま)ができていて、屋根から換気ができる。換気扇のような役割を果たす。
建築年は明治末期と伝わる。1917(大正6)年に改築したとの棟札が残り、改築に携わった棟りょうや左官の名が連なっている。
2024年12月1日 毎日新聞・日曜くらぶ 掲載