作家としてはもっぱら「夢二」と名乗った竹久茂次郎(1884~1934年)は、まさしく夢見る詩人であった。25歳の時に洛陽堂より刊行した最初の著作『夢二画集 春の巻』は爆発的人気を博し、1年で7版も重ねたという。そして翌年(10年)には、『夢二画集』として『夏の巻』『花の巻』『秋の巻』『冬の巻』など立て続けに刊行、一躍、画集著作者として世に知られるようになった。
しかしながら若い夢二は、もともと画家になりたかった。「夢二」という画家の雅号がはじめて登場するのは、01年に上京後、雑誌『中学世界』に投稿したコマ絵が入選してからで、画家になるために美術学校に入学したいと決意し、岡田三郎助に相談したりしている。
しかし美術家として修業する前に、絵のモデルでもあった岸たまきと結婚、次々に子供も生まれる。夢二は家族の生活を守るために、たまきに「港屋絵草紙店」をまかせ、夢二がデザインした千代紙や絵封筒などの日用品を販売させるようにしたが、これがまた特に若い女性たちの人気を呼んで売れに売れた。夢二のグラフィックデザイナーとしての優れた才能が存分に開花したのである。その結果、画家としての夢二の重要な活動は、ずっと後に持ちこされてしまうこととなるのである。
現在、東京都庭園美術館(港区白金台)で開催されている「生誕140年 YUMEJI展」は、展覧会のキャッチコピーにある通り、「大正浪漫と新しい世界」の豊麗艶美な魅力をたっぷりと味わわせてくれる重要な企画展である。だがそればかりではない。夢二が画家として早くから探求していた「本場の油彩画」をアメリカで実際に試みた貴重な作例が展覧会場に並べられているからである。そこには、大正ロマンの雰囲気も、夢二式美人の色彩もまったく見られず、西洋油彩画を受け継いだ堂々たる裸婦像(ヌード)であり、まさしく洋画習得の試みにほかならない。
夢二はなおも勉学を続けたかったに違いないが、不穏な世界情勢もあり、欧州を経て帰国、作品はアメリカに残された。近年になって、その作品はアメリカの友人の許(もと)に大切に保管されていたことがわかり、連絡がついて無事日本に「帰国」して、慎重な修復を経て、岡山の夢二郷土美術館に収められた。
明らかに白人女性のモデルを使って描かれたこの裸婦像は技法においても完全に西洋油彩画で、夢二はその技法の習得に努力を重ねた。夢二郷土美術館館長代理の小嶋ひろみ氏によると、「西海岸の裸婦」と題されたこの裸婦像を描くにあたって、当初は腰の部分に布のようなものを描いていたが、それを塗りつぶして完全な裸婦として仕上げたという。白い肌を描くのに用いた絵の具はジンクホワイトとシルバーホワイトであり、その白い肌に呼応するように背景にはアメリカの海、山、大地を想起させる紺、緑、黄土の斜めのストライプを配した。見事な画面構成であり、「西海岸の裸婦」と題された所以(ゆえん)でもある。卓抜な秀作といってよいであろう。
8月25日まで。次いで夢二郷土美術館、あべのハルカス美術館(大阪市)など全国6館で巡回予定。
2024年6月13日 毎日新聞・東京夕刊 掲載