駐日韓国文化院で開催された「紙、文化をつなぐ」展の展示風景=筆者提供

【KOGEI!】
歴史が育む日韓の紙と食

文:外舘和子(とだて・かずこ=多摩美術大学教授)

工芸

 今年は日韓国交正常化60周年。これを記念した韓紙と和紙の展覧会のセミナーの講師を依頼され、3月に東京・四谷の駐日韓国大使館韓国文化院で「和紙の活用の歴史と可能性」について講演した。

 明治期に西洋から日本に洋紙が導入されて以来、ノートや書類には機械生産できる安価な洋紙が普及したが、現在も日本には越前や美濃など30カ所以上の和紙の産地がある。楮(こうぞ)などの植物繊維を原料に手漉(す)きで作る和紙は、古(いにしえ)より戸籍や写経、平安貴族たちの装飾的な料紙、襖(ふすま)絵などの障壁画や浮世絵、書物などに使われてきた。その耐久性は貴重な古文書や古美術を今日まで伝え、現代ではその独特の風合いが、和紙作家による芸術性の高い作品や、ランプシェード、建築空間の装飾などに活用されている。

 韓紙と和紙の展覧会では、韓国でも日本と同様、現代では書画の支持体のみならず、テキスタイルやファイバーアートの如(ごと)く、平面作品や立体的なオブジェなどへの多様な展開が見られ、日韓共同制作の巨大なパッチワーク作品も展示された。韓紙・和紙ともに素材の美しさはもちろん、程よい柔らかさ、軽さはさまざまな可能性を秘めている。違いを指摘するとすれば、例えば韓国では伝統紙を床材にも使用する。展覧会を企画したイム・テヒによれば、石や土に密着する韓紙はオンドル(床暖房)にも適しているという。

 日本の紙漉き技術のルーツについては諸説あるが、『日本書紀』には610年に高句麗の僧侶、曇徴(どんちょう)が紙や墨を上手に作ったという記述があり、遅くともその頃には、朝鮮半島の技術を参照し、日本で製紙が行われていた事がうかがわれる。日本は和紙に限らず、5世紀頃に伝来した轆轤(ろくろ)や穴窯、近世の磁器など、朝鮮半島の人々からさまざまな技術を学んできた。欧米の人々が良き「友人」であるとすれば、韓国人を「親戚」のように感じるのは私だけではないだろう。

 セミナーの懇親会では「大同小異」なるテーマで日韓の似た料理が二つずつセットで振る舞われた。お好み焼きとチヂミ、日本のふろふき大根と韓国の大根の煮物、使用する味噌(みそ)の違いを楽しむ両国のサバの味噌煮など、味付けなどの違いはあるものの、日本人は韓国とよく似た料理を食してきたのである。

 日韓の料理の類似と違いを味わいながら、以前、韓国で世界陶磁ビエンナーレの審査員をした折の食事中の会話を思い出した。炊飯の際、掌(てのひら)を水平にして研いだ米の上に乗せ、手首の辺りまで水を入れるとちょうど良い水分量で炊けることを、私は子供の頃、母親から教えられたが、同じことを韓国のビエンナーレ事務局の女性も母親から学んだという。文化の共有は時に細部にまで及ぶ。

 60年前、日韓は「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」を結び、公式パートナーとなった。しかし我々の祖先は、その遥(はる)か昔、現在の国家の輪郭が形成される以前から、紙や陶磁器、食など多様な面で交流を重ね、今日を築いてきた。その豊かさを未来へと繫(つな)ぐために工芸や文化の交流は重要である。関係は一日にしてならず。いうまでもなく過去の全ては現在と未来に繫がっている。

2025年05月13日 毎日新聞・東京朝刊 掲載

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