弓指寛治さん=高橋咲子撮影

 「絵画っていうのは『終わったメディア』だと思ってたんです。でも、絵じゃないとできないことって、いっぱいあるんだなって気づきました」。弓指寛治(ゆみさしかんじ)さん(38)が言うにはわけがある。

 各地の芸術祭をはじめ、引っ張りだこの画家だ。とりわけ今年、国立西洋美術館(東京・上野)で初めて現代の美術家を招いて開催された企画展では、鑑賞者からの人気も高かった。目を向けたのは、路上生活者や日雇い労働者が多く暮らす街、東京・山谷。支援団体を通じて約1年間通い、膨大な絵画と文章で構成した作品を発表した。

 美術館がある上野公園もホームレスの人たちが暮らしてきた土地だ。そうした歴史を顧みたキュレーターからの提案だったが、当初はピンとこなかったと正直に語る。「何も知らなかった」ころの自分、人々との出会い、浮かびあがる一人一人の人生を日記のように紡いでいった。

 「写真は撮らせてくれないんですよ。みんな事情があるから。でも、絵に描きたいというと『オレの絵を描くんか』って、喜んでくれる。僕の絵なんてうまくもないから、誰が誰って特定されることはないし、その人たちの見られたくないところを描く必要もない。一方で、写真に残っていない過去の日常も描ける。絵画ならできるわけです」

 展覧会の招待券を「山谷中」に配り、たくさんの人が見に来てくれた。「おじさんたちは、油絵の具で描いてあるのにガンガン触る。絵に描かれることって、なんかうれしいらしくて。で、喜んで帰ってくれる」と顔をほころばせる。

 三重県生まれ。「そもそもサッカー選手になりたいと思っていたので、絵は全然」。高校の先生に勧められて、たまたま進学した名古屋学芸大学。2年生のとき、友人と海外旅行に行くことになった。暇をもてあまして行った米テキサスの美術館で、独自の抽象表現を展開したサイ・トゥオンブリーの絵に出合い、衝撃を受けた。「その夜から『絵を描こう!』と思って。で、モーテルに帰って、画用紙も買って。あのぐちゃぐちゃした線だから自分も描けると思ってやるんですけど、全然違う。なぜこんなに違うんだろう、というのから始めました」

 友人と起こした映像制作会社を経て、東京のアートスクール「新芸術校」へ。2016年、交通事故後に自死した母を描き、同校の成果展で金賞を受賞。以降、岡本太郎現代芸術賞・岡本敏子賞(17年度)、あいちトリエンナーレ(19年)への参加、VOCA展佳作賞(21年)など活躍が続く。19日から始まる芸術祭「南飛騨Art Discovery」(岐阜)にはアドバイザーとしても関わる。

 山谷には今も通い続けているという。支援者も含めた出会いは「作家人生においてかなり影響があると思う」と話す。「人が生きるってなんなんだろうと。母が死んだころから考え続けてきたことなんですけど、より思うようになりました」

2024年10月14日 毎日新聞・東京朝刊 掲載

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