西洋美術と出会い、歩み始めた日本の洋画の流れをたどる「日本近代洋画への道-山岡コレクションを中心に」展が、北九州市立美術館本館(戸畑区西鞘ケ谷町)で開かれている。「江戸幕末の洋風画」「明治初期留学生と工部美術学校」「明治外光派と浪漫主義」の3章構成。ヤンマーディーゼル(現ヤンマー)の創業者、山岡孫吉が集め、笠間日動美術館(茨城県笠間市)が所蔵する作品を中心に150点がそろう。
日本近代洋画の始まりは、江戸幕府が1856(安政3)年に設立した洋学研究・教育機関「蕃書調所(ばんしょしらべしょ)」と、幕末に来日した英国の画家・漫画家・ジャーナリスト、チャールズ・ワーグマンにあるといわれている。蕃書調所に在籍し、後にワーグマンから学び、日本における写実的な油彩画の開拓者となったのが高橋由一(1828~94年)だ。代表作「鮭(さけ)」「花魁(おいらん)」の2点は国重要文化財(重文)に指定されている。本展出品作「鮭図」(1879~80年)は重文ではないが、鮭の形状、質感を驚異的な精度で再現している。西洋の技法を用いつつ、日本人にとって身近な題材にこだわった点がポイント。真に迫ろうとする強じんな意思は従来の日本絵画とは一線を画し、日本近代洋画の夜明けを感じさせる。

明治に入って、「美術」の概念が成立し、「日本画」と区別する形で「洋画」という言葉が生まれた。国家の制度として創設された東京美術学校(現・東京芸術大)の教授に就き、官設の「文部省美術展覧会(文展)」(後の帝展、日展)の審査員として、日本の洋画アカデミーを確立した立役者、黒田清輝(1866~1924年)は鹿児島県出身。留学先のフランスから持ち帰った明るい光に満ちた画風は「外光派」(新派、紫派)と呼ばれ、浅井忠ら、従来の写実的な画風の「旧派」(脂(やに)派)と区別された。
自身が主宰する白馬会の第11回展に出品した油彩画「黒田清兼像」(1907年)は実父を描いた肖像画だが、自画像と見まがうほど、黒田にそっくり。本作は塗り残しが目立つ。未完の作を堂々と展覧会に出すあたりが大御所ならではといえよう。
福岡県出身の早世の画家、青木繁(1882~1911年)は、東京美術学校で黒田に学んだ。油彩画「二人の少女」(1909年)は、少年時代に洋画を習っていた森三美(みよし)の2人の娘を描く。姉の差す日傘が背景の役割を担い、暖かい空気の存在を想像させる。妹を見やる姉の表情が印象的。幸福な場面だが、この時、青木は家族との関係が破綻し、生活は困窮を極め、九州を放浪中だった。2年後には失意のうちに人生を閉じている。そんな画家の心情に思いをはせると、作品の見え方はがらりと変わってくる。
本展の出品作品の制作年代は江戸中期から昭和初期ごろまでと幅広い。出展画家(絵師)は、葛飾北斎、円山応挙、司馬江漢、ワーグマン、浅井忠、久米桂一郎(佐賀県出身)、藤島武二(鹿児島県出身)、岡田三郎助(佐賀県出身)、和田英作(鹿児島県出身)、岸田劉生、萬鉄五郎、藤田嗣治ら。黒田をはじめ、九州出身者が主導し、日本近代洋画の礎を築いた事実が改めて確認できる。
21日まで(月曜休館)。
2026年6月5日 毎日新聞・福岡版 掲載