メージの変奏が心地よい「横尾忠則 連画の河」展
メージの変奏が心地よい「横尾忠則 連画の河」展

 今日描けば明日、明日描けばその次の日も。そうして描き続けてきた。美術家・横尾忠則さん(1936年生まれ)は休むことなく筆を動かし続ける。近年も、東京国立博物館表慶館で開催された「寒山百得」展(2023年)、東京都現代美術館ほかでの過去最大規模の個展(21年)など、見る人をイメージの渦に放り込んできた。そして今年、新作の油彩画約60点を中心に構成した「横尾忠則 連画の河」展が東京・世田谷美術館で開かれている。
 冒頭に、絵「記憶の鎮魂歌」(94年)が象徴的に示される。篠山紀信が70年に撮影した同級生との写真を基にしたもので、これがさまざまに転調していくのだ。はじめは記念写真の面影を残す絵が、次第に「群像」を描いたものへと変わり、例えば、ゴーギャンの裸婦像、あるいは偶然出合った「メキシコ」という言葉など、新たなイメージと重なっていく。
 企画した学芸員の塚田美紀さんによると、あえて章立てをせず、ほぼ描いた順に並べているという。「川」「橋」といった記念写真の要素も変容し、流れる水のイメージは、最後には水がめとなって再び現れる。展示を通して尽きぬ泉のようにあふれるイメージと、それが移ろうさまが心地よい。

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 会場に現れた横尾さんは、けんしょう炎になって「真っすぐな線が描けない」と話し始めた。とはいうものの、「下手になると、自由な気持ちが湧き立ってくる。健康なときはいい絵を描こうとしてかえって不自由だった」と付け足す。

 先日はコロナにもかかり肉体は思うようにはならないと言うが、絵に広がる世界は融通無碍(ゆうずうむげ)だ。確かに描線は伸びやかとはいえないかもしれない。だが、重ねた筆触は背景と一体になり、隣に並ぶ作品とも溶け合うようだ。既に描いた絵と、日常生活でたまたま得たイメージに導かれ、創作が展開していく--。塚田さんは23年春から始まった、一連の制作の流れを1人で行う「連歌」ならぬ「連画」に例える。

 「3、4歳から描いているので、絵を描くのはとっくに飽きている。この先どうなるかは全く分からないですよね」。横尾さんはひょうひょうと語る。いつの間にかここではないどこかへ。水の流れのように成り行き任せ、の88歳の境地だ。6月22日まで。

2025年5月19日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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