
青々と大きく葉を広げた木のもとで、手を合わせて座る女性。白い衣に身を包み、涼しい目元をやや伏し目がちにしたその前には、たわわに実ったバナナがみずみずしい黄色で描かれている。京都・相国寺承天閣美術館で開催中の「畠中光享 日本画展 清浄光明を描く」。日本画家、畠中光享さん(78)が美しい線描と鮮やかな色彩で描き出すのは、深く静かな祈りの世界だ。

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冒頭の作品「バナナ供養(ケーラパーリ)」(2023年)は二曲屛風(びょうぶ)と四曲屛風一対の作品。広大なマンゴー園を持っていた遊女「アームラパーリ」が釈尊を供養した説話と、ガンジス川北岸に今も広がるというバナナの林を重ね、制作したという。アームラパーリを描いた新作「アームラパーリと仏陀(ぶっだ)」(24年)では赤い衣を着た女性が、色づいたマンゴーの実を供養する姿が描かれている。
1947年、奈良県の真宗大谷派寺院に生まれた。大谷大を卒業後、京都市立芸術大日本画専攻を修了。74年、制作に行き詰まって訪れたインドに、魅せられた。以来、100回以上訪問を重ね、細密画や彫刻などを研究。画家としては一貫して既存の団体展に所属せず、独自の日本画を追求してきた。
2期にわたり計100点を出品する本展は、74年以前の数点をのぞき、ほとんどを新作・近作で構成。サブタイトルに「はじまりと今」とうたう。「今を大事にするのは仏教の基本。回顧展にはしたくなかった」。人物画が多いのは「人を見て、描きたい」から。臨済宗の寺院が会場ということもあって制作した「禅定達磨(だるま)」(24年)では、白隠の絵で知られるぎょろ目の達磨のイメージとは異なる、静かな瞑想(めいそう)の姿が描かれている。
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天然の顔料にこだわり、試行錯誤を重ねてきた彩色は、清らかで鮮やか。「生活はケチっても絵の具はケチらない」と笑い、「500年、1000年もつ絵を描きたい」と熱く語る。人の肌は細い筆で克明に描くという。「僕はうじうじ描いているが、そういうところを見せないように描きたいと思っている」。「悲しみの刻」(24年)では、描きこまれた女性の肌と背景の深い青が美しい対比をなす。
「自分も人も清浄になって、(世界の)どこにだって光が当たってほしい」という思いから、「清浄光明を描く」と銘打った。出品作の中には19年に真宗大谷派(本山・東本願寺)に寄進された襖絵(ふすまえ)も。御休息所の廊下を尼蓮禅河(にれんぜんが)に見立て、西側のふすまに描いた「成道聖地遥拝(ようはい)」(18年)には、釈迦(しゃか)の悟りの地に沈む夕日が描かれている。Ⅰ期は20日まで、Ⅱ期は23日~6月22日。

2025年4月2日 毎日新聞・東京夕刊 掲載