生き生きとした線描、庶民の生の一瞬をからりと捉えた造形。波瀾(はらん)万丈の人生を送りながら、英一蝶(はなぶさいっちょう)(1652~1724年)の絵から受けとるのは、そんな明るさだ。
京都に生まれ、江戸に移った後、狩野探幽の弟、安信の下で学んだ一蝶。まず示されるのは、多賀朝湖と名乗っていた時代に手がけた、全36図の「雑画帖(じょう)」。画面に合わせて多種多様に描き分けていて、訪れた人は企画者の思惑通り、画技に目を見張る。
その筆力を十分に示したのが「吉野・龍田図屛風(びょうぶ)」(展示終了)。右隻は緑の息吹に満ち、一方、左隻では静かな山々に紅葉が燃える。濃淡を巧みに使い分けた山や田は季節の大気まですくい取り、随所に人々の生活も描き入れている。
現代の目にも魅力的に映るのは、やはり風俗表現だろう。岩佐又兵衛や菱川師宣に触発されたというが、又兵衛ほど俗っぽくない。戯画的な表現にしても、あくまでも軽やかだ。太鼓持ちとして吉原に出入りした一蝶は、松尾芭蕉に学び俳諧も楽しんだ。俳諧で培った情景の捉え方が効いているのだろうか。
「生類憐(あわ)れみの令」を皮肉った罪で、40代で三宅島(東京)に流され、そこで代表作とされる「吉原風俗図巻」が生まれた。本展には、ひょうひょうとした鹿と遊郭を描いた「奈良木之図」(展示終了)が初出品されているが、それ以外では配流前に、都市風俗の画題はほとんどないという。注文制作とはいえ、江戸から遠くにあってどんな思いでさんざめく遊郭を描いたのだろう。ほかに、肥痩(ひそう)のある線が浮き立つような情感をもたらす「布晒舞図(ぬのさらしまいず)」も、この時期のものだ。
恩赦で江戸に戻った一蝶は、画名を「英一蝶」に改めた。繰り返し描いた雨宿りの絵は、本展のハイライトの一つ。しっとりした空気のなかで、軒先で肩を寄せ合う人たち。犬や低く飛ぶツバメまで、ある日のある場所でひとときを共に過ごした人たちを描き出した。配流時代を念頭に置くと、雨宿りのような生活の情景も、こっけいな一瞬も、どこか追憶の場面のように思えてくる。過去最大規模だという本展は、東京・六本木のサントリー美術館で11月10日まで。
2024年10月21日 毎日新聞・東京夕刊 掲載