
18世紀のイタリアで活躍し、都市の景観画で知られる巨匠、カナレット(1697〜1768年)の作品を紹介する日本初の展覧会「カナレットとヴェネツィアの輝き」が12日から、東京都新宿区のSOMPO美術館で始まる。英国にある貴重なカナレット作品のほか、モネ、ホイッスラーといった近代の画家たちがヴェネツィアを主題に描いた作品も併せて展示し、300年にわたる風景表現の変遷をたどる展覧会だ。本展を担当した朝倉南・同館学芸員が見どころを解説する。

◇壮麗な景観、巧みに創造 朝倉南 SOMPO美術館学芸員
18世紀、ヴェネツィア。陽光きらめくアドリア海に奇跡的に浮かぶこの唯一無二の都市は、運河を舞台とする数々の壮麗な祝祭、オペラや演劇、カフェや賭博といった娯楽にあふれ、多くのグランド・ツアー客を魅了した。グランド・ツアーとは、英国の上流階級の子弟が教育の総仕上げに行った大陸周遊旅行であり、ローマと並んでヴェネツィアは定番の旅先であった。彼らが旅の記念の「土産物」として自邸に持ち帰るべく買い求めたのが、輝かしい都市景観を精細に描き留めたヴェドゥータ(景観画)である。画家カナレットは、こうした需要に応えて人気を博した、ヴェドゥータの代名詞といえる存在であった。
カナレット、本名ジョヴァンニ・アントニオ・カナルは、1697年にヴェネツィア共和国に生まれた。劇場の舞台美術家の父のもと、遠近法を用いた説得力のある空間描写を学んだと考えられる。ヴェネツィアとローマの劇場で父親とともに仕事をしていたが、1720年にはヴェネツィアの画家組合に登録され、この頃にはヴェドゥータを手掛け始めた。
「見る」というイタリア語の動詞ヴェデーレから生まれた「ヴェドゥータ」とは、主として都市景観を遠近法に基づき正確に描いた絵画をいう。18世紀的現象ともいえるヴェドゥータの流行だが、ヴェネツィアにおける都市を描く伝統は15世紀にまでさかのぼる。しかし物語画、人物画が中心のヒエラルキーを形成していた時代、ヴェネツィアに都市の実景を描く画家は育たず、関心も低かった。この頃に景観画を手掛けたのは北方出身の画家たちであり、ヴェドゥータ発祥の地となったのは彼ら外国人画家が集ったローマである。20代前半のカナレットは父親の仕事に同行し赴いたローマで、景観画を描いていたオランダ人画家に影響を受けたと推測される。ヴェドゥータというジャンルは古代遺跡の都市ローマから発し、ヴェネツィアとの出合いによって花開いたといえるだろう。

本展には、大運河カナル・グランデ沿いの街並みや、ゴンドラが行き交い御座船ブチントーロがひときわきらめくキリスト昇天祭、ボートレース「レガッタ」が繰り広げられる運河の情景、人々でにぎわうサン・マルコ広場など、ヴェネツィアを旅した英国貴族の視覚体験を眼前によみがえらせるかのごとき精緻なヴェドゥータが出品される。カナレットは、初期には明暗を生かし筆触を効果的に用いた絵画的描写を行ったが、次第に、晴朗な空、定型的波紋が連なる輝く水面、堅固な建築物による整然とした街並みという、明るい陽光に満ちた緻密かつ明晰(めいせき)な画面を創り上げていった。画中には日常生活の一端をうかがわせるさまざまな人物がちりばめられ、色彩のアクセントを付与するとともに活気を与えている。彼は迫真的な都市の肖像を描くために数多くの素描を描き構図の研究を重ねたが、その中には光学機器カメラ・オブスキュラを用いたと推測されるものも存在する。しかし、現実の再現と見まがうばかりの眺めも、時に複数の視点から捉えた景観をつなぎ合わせるといった操作を加えていることを見逃してはならない。実際には一度に眺望できないパノラマを描き出し、人々が見たいと望むヴェネツィアらしい「絵になる」景観を巧みに創造しているのである。

こうした旅行客の嗜好(しこう)をつかんだカナレットの成功の裏には、英国人パトロンの存在があった。とりわけ重要なのは、のちにヴェネツィア駐在英国領事となるジョゼフ・スミスである。カナル・グランデ沿いに大邸宅を構えた彼は、英国人顧客との間を取り持った大コレクターであった。さらには、オーストリア継承戦争の勃発によって旅行客が激減すると、カナレットは顧客のいる英国に渡り約10年間滞在する。したがってカナレット作品の多くは英国に所在するが、本展は英国内各地の作品が一堂に会する貴重な機会となった。

ヴェネツィアおよび英国におけるカナレットの影響力は大きく、彼の描いたヴェドゥータはヴェネツィアの典型的イメージとして定着した。本展では同時代の画家マリエスキやグアルディ、おいのベロットのほか、架空の景観画「カプリッチョ」の作例を含む英国の後継者たちの作品もご覧いただく。
一方でカナレット以後、19世紀には、大気や光への鋭敏な感覚や風俗画的要素が画面に現れ始め、ロマン主義的思潮を背景にヴェネツィアの「裏」の姿を切り取る画家も登場した。1797年、ナポレオンの侵攻によってヴェネツィア共和国は滅亡し、この頃には貴族社会も崩壊、グランド・ツアーは終わりを迎え、新たな世紀に生まれたのは画家個人の感覚を反映した幻想的な水の都のイメージであった。本展では19世紀英仏の画家たちによるヴェネツィアの姿も紹介し、描かれ続けるヴェネツィアの魅力をモネに至る20世紀初頭までたどる。

カナレットの画業、およびヴェドゥータの成立と展開を本格的に取り上げる展覧会は日本初。現在も変わらぬ姿をとどめる世界遺産の街ヴェネツィアを、カナレットが残したヴェドゥータを通じてぜひ会場でお楽しみいただきたい。
(寄稿)

■ガイドナビに浪川大輔さん
音声ガイドナビゲーターは、声優で俳優の浪川大輔さんが務めます。18世紀イタリアの音楽とともにお楽しみください。貸出料金650円(税込み)。
■公式図録 通信販売
会場ショップのほか、通販サイト「まいにち書房」(https://www.mainichi.store/)でも公式図録を販売中。緻密に描かれたカナレットらの風景画をじっくりとご覧いただけます。全出品作品のカラー図版と作品解説に加え、高精細の拡大図版も多数収録しました。送料別。1冊2900円(税込み)。
INFORMATION
「カナレットとヴェネツィアの輝き」展 新宿・SOMPO美術館
<会期>10月12日(土)から12月28日(土)。月曜休館。ただし10月14日、11月4日は開館。入場は午前10時〜午後5時半。金曜日は午後7時半まで
<会場>SOMPO美術館(東京都新宿区西新宿1、新宿駅下車)
<入館料>一般1800円、大学生1200円、高校生以下無料
<問い合わせ>ハローダイヤル(050・5541・8600)
<主催>毎日新聞社、SOMPO美術館、スコットランド国立美術館
<特別協賛>SOMPOホールディングス
<協賛>DNP大日本印刷
<特別協力>損保ジャパン
<協力>日本航空、日本貨物航空、箱根ガラスの森美術館、ITAエアウェイズ
<後援>駐日イタリア大使館、ブリティッシュ・カウンシル、新宿区、TOKYOMX、JーWAVE
2024年10月11日 毎日新聞・東京朝刊 掲載