石崎光瑤≪燦雨≫(左隻) 大正8(1919)年 南砺市立福光美術館蔵

寄稿  京都文化博物館主任学芸員・植田彩芳子さん

 京都文化博物館(京都市中京区)で14日、「生誕140年記念 石崎光瑤(こうよう)」展が開幕する。鮮やかな色彩で華麗な花鳥画を描き、近代京都画壇で活躍した日本画家、石崎光瑤(1884~1947年)。光瑤のみを掘り下げた初の大規模回顧展となる本展の見どころを、同館主任学芸員の植田彩芳子さんが紹介する。

石崎光瑤(提供写真=南砺市立福光美術館)

 ◇若冲に魅せられて

 石崎光瑤という画家がいた。まずはその絵を見てほしい。《熱国妍春(ねっこくけんしゅん)》《燦雨(さんう)》《白孔雀(しろくじゃく)》といった代表作の、色彩豊かな、まさに絢爛(けんらん)という言葉がふさわしい画面を。華やかではあるが、日本画特有の上品さもあわせもつ。

石崎光瑤≪白孔雀≫(右隻) 大正11(1922)年 大阪中之島美術館蔵(10月1日~11月10日展示)

 光瑤は、明治後期から昭和前期に活躍した日本画家で、花鳥画を得意とした。現在の富山県南砺市に生まれ、初めは金沢で江戸琳派の絵師に学び、19歳で京都に出る。日本画の大家、竹内栖鳳(せいほう)に師事し、同門には土田麦僊(ばくせん)、上村松園などそうそうたるメンバーがいた。その中で共に画技を磨いた光瑤は、やがて文展、帝展などの展覧会で受賞を重ね、画壇に地位を築いていく。

 先ほど挙げた《熱国妍春》《燦雨》《白孔雀》は、大正5(1916)年から翌年にかけてインドを旅した成果として描いたもので、熱帯風景の花鳥を主題とする。《燦雨》は突然のスコールに驚いて飛び交うインコの群れ、鳴き騒ぐ孔雀の様子を金、朱、緑を基調に描き出す。大画面の迫力ある構成、金泥を多用した華やかな画面、実際の作品を間近で見ていただくと、その色彩美に魅了されるに違いない。

 光瑤は明治45(1912)年に伊藤若冲の《動植綵絵(どうしょくさいえ)》を見て以来、若冲に引かれるようになる。《雪》の右隻などを見ると、《動植綵絵》にあるオシドリを描いた作品などによく似ていることに気付かされる。光瑤は大正末年に、若冲の代表作《仙人掌(さぼてん)群鶏図襖(ふすま)》(大阪・西福寺、重要文化財)を発見し、広く世に知らせたという功績も持つ。さらに光瑤はその模写も行い、自身の作画にも役立てている。今日の若冲ブームを巻き起こした美術史家・辻惟雄氏による『奇想の系譜』が刊行される約半世紀前のことだ。

石崎光瑤≪雪≫(右隻) 大正9(1920)年 南砺市立福光美術館蔵

 晩年には高野山・金剛峯寺奥殿の襖絵を依頼され、描いた。本展では通常非公開の襖絵20面を一挙公開する。うち8面の《雪嶺》は寺外初公開となる。静かで華やかな画面が魅力的だ。

金剛峯寺奥殿<雪嶺の間>※襖絵は石崎光瑤≪雪嶺≫ 昭和10(1935)年

 最後に、知る人ぞ知る情報を。光瑤は実は本格的な登山家としても知られる。明治42(1909)年に剱岳に民間人として初登頂を果たしたパーティーの一人なのだ。また、先述のインド旅行では、日本人登山家として初めてヒマラヤの一峰マハデュム峰の登頂にも成功している。

 このように多彩な魅力を持つ石崎光瑤の全貌を紹介する初の大規模回顧展、お見逃しなきよう。

INFORMATION

初の大規模回顧展 11月10日まで
「生誕140年記念 石崎光瑤(こうよう)」展

会 期:9月14日(土)~11月10日(日)。月曜休館(祝日は開館し、翌日休館)。開室は10時~18時(水・金曜は20時半まで。入場は閉室の30分前まで)
会 場:京都文化博物館(京都市中京区三条高倉、電話075・222・0888)
入場料:一般1800(1600)円▽大高生1200(1000)円▽中小生600(400)円。※カッコ内は前売り、20人以上の団体料金
主 催:京都府、京都文化博物館、毎日新聞社、京都新聞

※展覧会情報の詳細は博物館ホームページをご確認ください

2024年9月11日 毎日新聞・大阪朝刊 掲載

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