安彦良和さん=川平愛撮影

 「機動戦士ガンダム」の作画の中心を担ったアニメーターで、現在も漫画家として活躍する安彦良和さん(76)=写真=の回顧展「描(えが)く人、安彦良和」が兵庫県立美術館(神戸市中央区)で開かれている。その早熟かつ圧倒的な画力で、日本のアニメ史を語る上で欠かせない業績を残す一方、歴史を題材とした漫画作品をライフワークとしてきた。今回は、少年・青年期からこれまでの歩みをたどる初の試み。安彦さんに、自身の創作活動を振り返り、作品に込めた思いを語ってもらった。

 アニメ「宇宙戦艦ヤマト」の絵コンテ、「機動戦士ガンダム」のイラスト原画、オールカラーの漫画作品「ジャンヌ」「イエス」の原稿--。約1400点が並ぶ会場に「大半は悪あがきなんですが、半世紀以上、自分なりに頑張ってきたという気持ちはあります」。謙遜しながらも、「描き続けてきた」半生への自負がのぞく。

 1947年、北海道遠軽町生まれ。手塚治虫や横山光輝、鈴木光明らの漫画に親しんだ。中学3年時の学習ノート「重点整理帳」に添えたイラストや、歴史教師を目指して大学に進んでからノート2冊に描き上げたスペイン内戦がテーマの漫画「遙かなるタホ河の流れ」にも、彼らの影響が見て取れる。「始まりの画風が手塚調だったので、劇画は苦手でした」と明かす。

 手塚が設立したアニメ制作会社「虫プロ」の求人広告を目にして応募し合格。その後、フリーランスとしてアニメーターの道を歩む。「ヤマト」(テレビシリーズは74~75年)への参加後、「リアルなものが描ける」画風を意図的に狙ったのが、キャラクターデザインなど企画段階から関わった「勇者ライディーン」(同75~76年)だった。アニメーターは、少年漫画、劇画、少女漫画のどの絵柄にも安住できない宿命を負いつつ、「いいとこ取り」ができる仕事だ。「今ではこの三つとは違う『アニメ調』という絵がありますが、その発展に少しは貢献できたのかなという思いはあります」と振り返る。

「勇者ライディーン」ポスター用イラスト原画 ©東北新社

 これらの作品で知名度を高めた後、「ガンダム」(同79~80年)でアニメーションディレクター、キャラクターデザインという重要な役割を果たした。同作はやがて社会現象ともいえるブームを巻き起こす。「『ガンダム』のデザイン関係の下絵などは、求めに応じてファンにあげるなどしたので、あまり残っていないんです」。今回は、残っていた貴重な設定のラフなども展示されている。

「機動戦士ガンダム」(劇場版)ポスター用イラスト原画 ©創通・サンライズ

 しかし80年代、関わった作品が興行的に振るわず、流行とのずれを感じて専業漫画家に転身。「負け惜しみも込めて、元々なりたかったところへ回り道してたどり着いただけと思いました」と苦笑いする。初めに「古代史を描いてほしい」と求められた仕事が大国主命(おおくにぬしのみこと)ら古事記の神々を描いた「ナムジ」(89~91年)、自ら提案したのが昭和初期の満州国を舞台にした「虹色のトロツキー」(90~96年)だった。

「虹色のトロツキー」より ©安彦良和/潮出版社

 登場人物の体温を感じさせる細密な描写。筆を走らせるのは、国家や戦争といった「大きな物語」を「小さき者」の視点から描こうとする欲求だ。「タホ河」から変わらない姿勢であり、「ガンダム」を再解釈しアニメでは語られなかった登場人物の逸話を漫画化した「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」(2001~11年)にもつながる。「60年たってみて、ぶれていたような気がするけれど一貫したものはあったのかな」。世界各地で戦争や弾圧が繰り返される今、「埋もれた個々の悲劇に目を向けたい」と語る。

 共同作業のアニメや、史実という制約がある「歴史もの」の中に、想像力を駆使する自由さを感じる道のりだった。今展は、日の目を見ずに埋もれていた資料にも光を当てる。「足跡の一つ一つに意味があるかは分かりませんが、続けて見ていただいたときに、何か意味が生まれるかもしれません」

自身の作品を見つめる安彦良和さん=西村剛撮影

2024年7月17日 毎日新聞・大阪朝刊 掲載

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