特別企画展「香りの装い~香水瓶をめぐる軌跡~」を19日から、神奈川県箱根町の箱根ガラスの森美術館で開催する。古来、神へのささげものとして、時に心身を癒やす魅惑の薬として、そして現代は自己を演出するファッションの一要素として、香水は息づいている。香水瓶という審美的な衣装をまとい、人々を甘美の世界にいざなう存在でもあり続けた。古代の地中海世界、東西文明の結節点になったイタリア・ベネチア、あまたの貴婦人を主人公に宮廷文化が花開いた近世以降の欧州を主な舞台に、3000年以上の時を刻む香りの軌跡を巡る。厳選した約80点を展観する。
<貴婦人と香りの広がり>
◇極細の装飾、専用瓶競う
香水瓶の芸術性が花開くのは、宮廷文化が爛熟(らんじゅく)した近世フランスと、フランス革命以降のブルジョア文化の時代だ。
貴婦人らは自分好みの香りを作らせることがステータスだった。同時に、その器にも自分の審美性を重ね、専用の香水瓶を職人らに作らせるようになった。香水ははなやかだが、透明で目には見えない。それを見せるために、入れ物を飾る必要があった。わずか10㌢ほどの大きさに、ロココ調の模様や彫金細工などを施し、寓話(ぐうわ)の世界を表現する。極細の装飾芸術だ。
ルネサンス期、東方のイスラム世界から海洋国家ベネチア共和国を通じて、イタリアの各都市に香料が伝わる。今もフィレンツェにあって世界的な香水工房として知られるサンタ・マリア・ノベッラ薬局もその一つで、16世紀にフィレンツェを支配したメディチ家からフランス王国に嫁いだ公女カテリーナ・デ・メディチ(1519~89年)が、お抱え調香師と秘伝のレシピをフランスに持ち込んだのが始まりといわれる。
瓶という器の製造でも、欧州の近世はエポックだろう。1708年、神聖ローマ帝国(ドイツ)のマイセンにおける「白磁」の生産がそれにあたる。ベネチアのマルコ・ポーロが「東方見聞録」を記した13世紀から、貿易商人たちが買い付けた中国の「白磁」は、欧州貴族の垂涎(すいぜん)の的。マイセンに先立つ16世紀のベネチアでは、白磁を模倣した「ラッティモ」(牛乳の意味)と呼ばれる乳白色のガラス器が作られるほどで、白磁の価値は金よりも上だったという。マイセンの職人が開発した白磁の製造技法は帝国領からフランスや英国、ロシアの磁器工房へと一気に広がった。
この時期は、南仏グラース地方でアルコール抽出法による香水の製造が本格化した時期と重なる。多種な花や植物を原料に多彩な香水が生まれ、白磁の瓶に注がれた。王妃マリー・アントワネット(1755~93年)がパリ郊外の私的な宮殿「プチ・トリアノン」に香水を取るための花の庭園を造っていた話はよく知られている。当時、1㍉㍑のローズオイルを作るには2500本ものバラが必要だったという。
革命で王家は倒れたが、贅(ぜい)を尽くしたその文化はブルジョアジーに継承される。19世紀の香水瓶の主流はガラス器だ。気密性に優れ、香水の成分に変化を与えないという磁器にはない特性がある。光の反射によって表面の色彩はさまざまに変わり、造形の幅も増す。
<いにしえの香り>
◇武器であり、権力の象徴
生活空間に香りを漂わせる習慣は古代メソポタミアやエジプトでは既にあり、ガラスの起源は香油を蓄える器にあったともいわれる。
エジプト・プトレマイオス朝最後の君主、クレオパトラ(紀元前69~30年)。同時代のローマの有力政治家であるカエサルやアントニウスを籠絡(ろうらく)し、彼らを後ろ盾に覇権を維持しようとしたことで知られる。彼女にとって、香りは男たちと渡り合うための武器であり、権力の象徴だったようだ。宮廷にはバラが敷き詰められ、高価な香料がふんだんに使われた。ローマの高官を乗せた軍船がエジプトに近づくと、この香りが船内にまで届いたという。財力の演出だったという。
ローマ時代に開発された吹きガラスの技法は、ガラス器の量産を可能にした。工芸史を語る上で、革命的といわれている。
<東方からの香り>
◇ガラス産業、育んだ交易
5世紀、ローマ帝国による地中海世界の支配が終わり、ヘレニズム(古代ギリシャ)・ローマの文化と技術は、ビザンチン(東ローマ帝国)が継承する。
欧州に香水文化が届くのは11世紀。海洋国家としての地位を築きつつあったベネチア共和国に、ビザンチンの皇女テオドラ・ドゥーカスが嫁いだ。数々のガラス器。食事にはフォークを使い、香料を周囲にただよわせる。最先進国だったビザンチンの物量とその立ちふるまいの優美さにベネチア人は圧倒され、そして、商機を見いだす。
ビザンチンの繁栄の基底には東方イスラム圏との交わりがあった。ビザンチンの保護を得たベネチアは、ガラス工芸の中心地だった現在のレバノンやシリアに植民都市を築き、ガラス原料の珪砂(けいしゃ)やソーダ灰を確保。イスラムグラスの輸入を独占し、現在に至るガラス産業の礎を築く。
シラーズ(現イラン)やダマスカス(シリア)など当時のイスラム圏では、水にバラの花を浮かべ、水に溶け出た香りを集めた「バラ水」が流行した。口の細い瓶に詰めて床にまき、歓迎する客に振りかけるなど、甘美な世界を演出した。ベネチア商人によって欧州にもたらされた香料は現在の香水の原形となり、ルネサンスを迎える15世紀には、香水の工房がイタリアの都市国家に建ち並ぶようになる。
ガラスと香水。東西交易の歴史を語るうえで、この二つは相即不離の関係にある。
<新たな時代の香り>
◇慣習から解放、モードへ
ブルジョアから大衆の世紀へ。19世紀後半から20世紀初頭に、香水は新たな時代を迎える。化学技術の発展で、それまでの天然香料から合成香料による製造が可能になり、大量生産の時代を迎える。
量産できるガラス瓶の特性も追い風になった。オーダーメードの高級品から規格生産の大衆品にいたるまで、フレキシブルな対応を可能にした。
デザインでは、「アールヌーボー」に代表された情緒的な表現を消し、機械的な構成や幾何学的デザインといった「クールで知的な要素」(美術史家・由水常雄氏)が現れる。「アールデコ」の時代を迎える。
大衆社会の幕開けは、女性を「慣習」というくびきから解き放つ。香水メーカーは新たな香りを開発し、イメージにかなう香水瓶をファッションデザイナーに発注した。フランスを代表するガラスメーカー「バカラ」や、エミール・ガレ、ドーム兄弟らが主役に躍り出る。宝飾と彫金の大御所だったルネ・ラリック(1860~1945年)は、技巧と量産を両立させる工業デザイナーとしての地位を確立した。
「モードの世紀」は、その絶頂を迎えた。
◇クレオパトラらイメージの創香も
会期中、クレオパトラ、マリー・アントワネット、カテリーナ・デ・メディチをそれぞれイメージし、創香した香りを展示します。
<クレオパトラ>美しさと聡明(そうめい)さをイメージし、ローズの香りに神秘的なミルラやシナモンを加え、妖艶さをかもすアニマル系の香りも加えた。
<マリー・アントワネット>プチ・トリアノン宮殿での花の栽培にちなみ、ローズ水にローズオイルやジャスミン・アブソリュートで香りに厚みを持たせた。レモンなどの精油でフレッシュさを加えた。
<カテリーナ・デ・メディチ>彼女の匂いのついた手袋をイメージした。レザーの香りをベースにネロリオイルやチュベローズ、ジャスミンなどを組み合わせ、洗練させた。
2024年7月12日 毎日新聞・東京朝刊 掲載