展覧会「髙田賢三 夢をかける」が6日から東京オペラシティアートギャラリー(東京都新宿区)で始まる。日本人のファッションデザイナーとして世界で活躍した高田賢三(1939~2020年)。斬新なアイデアで常識を打ち破るスタイルを次々と生み出した創作活動の魅力と生涯に迫る。見どころを、本展学術協力者の小形道正・大妻女子大学専任講師が解説する。(敬称略)
ひとりの若きデザイナーが大きな夢を抱いて旅立った。東海道新幹線が開通し、東京オリンピックが開催された1964年。日本社会が経済大国への道をひた走るなかで、この年25歳の高田賢三は自らの夢に向かって、船にてフランスのパリを目指した。70年ギャルリー・ビビエンヌに「ジャングル・ジャップ(後にケンゾーとなる)」をオープンさせ、縮やかすりなどの日本の生地を用いて発表した服は、68年に生じた五月革命のなかで変化を求めていたファッション界に新たな風を吹き込んだ。また、従来の立体的なシルエットを形づくるオートクチュールとは異なり、この時期のアンチクチュール(71年秋冬)をはじめとする直線裁ちを用いた平面的なシルエットと、ビビッドな色遣いのファッションはポップで若々しく、街を行き交う多くの人びとの心をとらえた。一躍ときの人となった賢三は後にイブ・サンローランや三宅一生らとともに、70年代を代表するファッションデザイナーのひとりとして数えられるようになる。
恩師である小池千枝の助言による、船でのパリへの旅はその後の創作の源泉ともなった。中国(75年秋冬)やアフリカ(76年春夏)、ネーティブアメリカン(76年秋冬)、ロシア(81年秋冬)など、世界各地の民族衣装のエッセンスを取り入れたファッションはフォークロアルックとしてケンゾーを特徴づけるひとつである。ただ、それらは決して賢三が実際に足を運んだ場所に限定されたり、さまざまな民族衣装をそのまま用いたりしたわけではなかった。彼の想像の翼によって時間や空間をも超え、自由にミックスされた豊かさは、たとえば80年代のロマンチックバロック(82年春夏)やニューカラー(84年秋冬)などにみとめることができる。それは賢三の夢の旅でもあった。
◇没後初の大規模回顧展
コロナ禍であった2020年に賢三は81歳の生涯に幕を閉じた。東京オペラシティアートギャラリーにて開催される「髙田賢三 夢をかける」展はその足跡をたどる、没後初となる大規模な展覧会である。そこでは主に「KENZO30ans」にひとつの結実を迎えるケンゾーでの30年の歩みを感じられるが、なかでも今回70年代の初期の作品群をみられるのはとても貴重である。オートクチュールではなくプレタポルテの、いまでいうリアルクローズの賢三の服は決して多く残っているわけではなく、また上下や小物までそろったかたちで収蔵されているのは数少ない。さらに、所蔵先もKENZO PARISや生前賢三が寄贈した文化学園ファッションリソースセンター、そして個人蔵によるもので点在している。
希少かつ散逸する作品たち。これらがこの度前掲の主要所蔵先をはじめとして、多くの関係者の協力によって厳選され一堂に会する。日本を飛び立ったあの日から60年。高田賢三のケンゾーが帰ってくる。彼が追いかけた夢のバトンをわたしたちはどのように受け継ぎ、またどのような夢を新たに描くことができるのだろうか。兵庫県姫路市の名古山にある高田賢三の墓石の、横の石碑には「夢」という一文字が刻まれている。
2024年7月5日 毎日新聞・東京朝刊 掲載