特別企画展「―ヴェネチア、プラハ、パリ―三都ガラス物語~歴史を駆け抜けた華麗なるガラスの世界~」が15日、神奈川県箱根町の箱根ガラスの森美術館で開幕する。1000年を超す歴史を持つ「ベネチアングラス」(イタリア)。中欧の繁栄を映す「ボヘミアングラス」(チェコ)。社交界の主役「バカラグラス」(フランス)――。近世・近代の激動の歴史をも映し出す。
◇海洋都市、東西の結節点 ベネチア
皮肉な話だ。ベネチア共和国の隆盛は地中海を舞台にした東方交易に支えられ、その源泉は海運力にあったわけだが、16世紀以降の航海術の発展は大西洋・インド洋を渡る新たなルートを確立させ、スペインやポルトガル、さらにオランダや英国が世界貿易の主役に躍り出る。17世紀以降、海洋都市国家としてのベネチアの国力は、一気に低下する。
ベネチアのガラス産業が絶頂を極めたのも16世紀だった。これは必然であろう。ベネチアを結び目に、東西文化の融合が華やかに進んだ時代だ。東方のイスラム圏から伝わったエナメル彩や金彩といった絵付けの技術。西方にはルネサンス絵画由来の高度な意匠があった。
16世紀のイタリア半島は、神聖ローマ帝国とスペイン王国に君臨したハプスブルク家と、フランス国王との戦乱の舞台だった。外国軍による略奪を恐れた芸術家らはベネチアに逃れ、この島は一種の「美術品市場」(W・H・マクニール・米シカゴ大教授著「ヴェネツィア」)になった。
ガラス産業の成り立ちを追う上で見落とせないのは、原料の調達だ。ベネチアングラスの造形の特徴は柔らかな曲線や繊細な装飾にあるが、これを可能にしたのは原料の特性による部分が大きい。ベネチアでは、鉱物に由来する「珪砂(けいしゃ)」と、地中海沿岸域に自生する植物を焼成した「ソーダ灰」を、地中海対岸のシリアとエジプトから輸入していた。ソーダ灰を含むガラスは、冷めて固まるまでの時間が緩やかになるという特徴がある。この間に形を整え、装飾を施すのだ。
ベネチアングラスの頂点と言えるのは、乳白色の文様を表現した「レースグラス」と、無色透明のガラス「クリスタッロ」だろう。二つは「対」の存在だ。レースグラスは透明ガラスと乳白色ガラスをねじり合わせることで作られる。乳白色を包み込む透明の部分がなければ、レースの表現は生まれない。
クリスタッロは、マンガンの調合を重ねていた職人が偶然作り出したものだともいわれている。精製の過程で不純物を取り除くことで、天然の水晶を思わせる輝きが実現した。
無色透明の輝き――。以降、欧州各国のガラス産業は競ってこれを追求する。その礎を築いたのがベネチアだ。
◇森がもたらした彫刻技術 ボヘミア
現在のチェコにあたるボヘミアで、ガラス産業が生まれたのは12~13世紀といわれている。シレジア(現ポーランド)の山地から採掘された珪石(けいせき)と、ベネチアのライバルだったジェノバ共和国から輸入されたソーダ灰が使われていたが、ソーダ灰の調達は安定せず、16世紀には、ボヘミアの森林を伐採した「木灰」が使われるようになった。
木灰に含まれるカリウムにはガラスを硬くする特性がある。ベネチアングラスのような自由な造形には不向きだ。一方でボヘミアには、山地で採取した水晶を彫る加工技術が根付いていた。彫刻を施すには、硬質ガラスの存在はむしろ好都合だった。こうして誕生したのが「カリガラス」である。「変幻自在の『海のガラス』がベネチアならば、細密彫刻が光る『森のガラス』がボヘミアだ」(根本耕太郎学芸員)
フランスとの戦争に加え、オスマン帝国の脅威と新興プロテスタント勢力の浸透に直面した神聖ローマ帝国は、緊迫の時代を迎えていた。ボヘミアングラスの発展を語る上で重要なのは、皇帝ルドルフ2世(1552~1612年)によるプラハ遷都だ。
自分をローマ神話の豊穣(ほうじょう)の神「ウェルトゥムヌス」に見立てて、顔や体に野菜や果物をあしらった奇妙な肖像画で知られるルドルフ2世。彼は精神に変調をきたし、政情不安を招いたが、学芸を手厚く保護したことでも知られる。当時のプラハの人口はウィーンの2倍に達し、欧州随一の人文都市に発展した。この環境が、ガラス産業の高度化を後押しした。
天然水晶への羨望(せんぼう)もあった。精製技術が向上した17世紀、カリガラスは透明度を増し、輝きを高めていく。現在に至る「クリスタルガラス」の原形である。
華美な装飾が好まれたバロックの時代を迎えていた。宝石を思わせるボヘミアのガラス工芸は、宮廷文化絶頂の欧州市場を席巻した。この時期、衰退するベネチアから、ひそかにボヘミアに移住したガラス職人が多数いたことも分かっている。彼らの存在がボヘミアの技術を底上げしたことは間違いない。
◇万博経て世界ブランドへ バカラ
18世紀。絶対王制の時代も終わりが見えた。爛熟(らんじゅく)期を迎えたブルボン家支配のフランスでは、過度な財政支出が体制のひずみをあらわにした。国王ルイ15世(1710~74年)の治世。戦費の増大と北米領土の喪失、新税導入の失敗がその主因だが、象徴的に映るのは、宮廷サロンで使われる豪華なガラス器の数々だ。有力な産地を持たないフランスではこれらを輸入に頼っていた。
ブランド名として知られる「バカラ」は、北東部ロレーヌ地方の村の名前だった。1764年、ルイ15世の王立事業として、この地でガラス製造が始まった。ロレーヌは森林資源に恵まれている。木灰を原料に使ったのはボヘミアと同じだが、英国で実用化していた鉛を溶け込ませる技法も取り入れた。
フランス革命やナポレオン戦争の荒波にさらされたバカラ社が、鉛クリスタルガラスの生産にこぎつけたのは1816年。以降、重商主義政策の波に乗り、鉛の含有率を30%に高めることで最高度の反射・屈折を実現した「フルレッドクリスタルガラス」の開発に成功。19世紀後半に5回開催されたパリ万博で、バカラ社の製品は金賞を3度獲得する。20世紀以降、時代の先端を行く「バカラグラス」は最高級ガラスの代名詞になった。
ルイ15世は多くの愛人の存在から、「最愛王」の異名を持つ。バカラグラスは、サロン政治の頂点を極めた彼の肝いりで誕生した。以来200年以上もの間、世界の富裕層を魅了し続けている史実には、一種、情念めいたものを感じる。
19世紀のパリ万博は、ベネチアにとっても新たな門出の舞台だった。1867年開催の第2回パリ万博。この前年にオーストリアの支配を脱して新生イタリア王国に加わったベネチアは、念願の万博出展を果たす。新たな主力製品として披露したのはガラスビーズだ。ネックレスやハンドバッグなどを飾る花形として服飾市場を席巻。ベネチアの復興を世界に印象づけた。
感性を研ぎ澄ました三都のガラス産業は、常に新しい時代を切り開いた。物語はそれぞれつながりを持ち、重層な工芸文化の魅力を今に伝えている。
INFORMATION
特別企画展「―ヴェネチア、プラハ、パリ―三都ガラス物語」
<会期>7月15日(土)~2024年1月8日(月・祝)。午前10時~午後5時半(入場は同5時まで)。会期中無休
<会場>箱根ガラスの森美術館(神奈川県箱根町仙石原)
<入館料>一般1800円、高校・大学生1300円、小・中学生600円
主 催:箱根ガラスの森美術館、毎日新聞社
後 援:箱根町
協 力:箱根DMO(一般財団法人箱根町観光協会)、小田急グループ
特別協力:町田市立博物館(東京都)、井村美術館、高砂香料工業株式会社
監 修:由水常雄(美術史家)
2023年7月14日 毎日新聞・東京朝刊 掲載