「ケアリング/マザーフッド」展の展示風景

 近年注目される「ケア」労働と性別役割を巡る問題は、芸術表現や制作の現場とも深い関わりがある。

 「私は日常的なメンテナンスに関するさまざまな行為を『アート』として展示し、(略)人々の意識を呼び覚ます」。1939年生まれのミエレル・レーダーマン・ユケレスの「メンテナンスアートのためのマニフェスト、1969!」(69年)から、展覧会は始まる。維持や管理、補修といった行為を、労働だけでなく、アートの文脈でも捉え直そうとしたこの宣言文は、多様で複雑で寡黙な本展を読み解く糸口でもある。

碓井ゆい「要求と抵抗」の展示風景

 料理番組さながらに台所に立つ女性を映すマーサ・ロスラー(43年生まれ)の映像作品「キッチンの記号論」(75年)を見れば、違和感を覚えるだろう。女性は無表情で、台所用品を扱う手は暴力的だからだ。ケア労働は見えにくいだけでなく、あるべき姿を押しつけられがちだ。保育士が「保母」と言われた時代の労働運動を扱った、碓井ゆい(同80年)の「要求と抵抗」(2019年)も、この規範を可視化する。女性たちの協力を得て、エプロンに刺しゅうで異議申し立てした作品は、手芸的手法を周縁化してきた美術史へのあらがいだとも言える。

 もちろんケアの担い手は女性だけではない。二藤建人(同86年)は、誰かを支える人も、誰かに依存しているさまを、無数のイメージで表す。また、重ねた日常に目を向けるならば、育児中に震災を経験した女性の言葉を紡ぐAHA!の「わたしは思い出す」(21年)ほど、冒頭の宣言文を体現するものはないだろう。

 青木陵子や石内都、出光真子は、無数の女性の、娘と母とその後の時間をつなぎ、彼女たち自身の作家としての道のりについても思い起こさせる。キャリアとケア労働の両立について、後藤桜子学芸員は「作家だけが責任を持つのではなく、美術館も業界の一つとして取り組みたい」と話す。美術館として何ができるか、実践は緒に就いたばかりだ。水戸芸術館現代美術ギャラリーで、5月7日まで。

2023年3月22日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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