「戦争と平和」ならぬ、「占領と平和」展。戦争が終わり平和が訪れた--と言われるあの時代を写真家はいかに見つめたのか。
展示は「玉音放送」の一節から始まる。「然(しか)レトモ朕ハ時運ノ趨(おもむ)ク所堪へ難キヲ堪へ……」。未来を第三者に委ねるような文言が、敗戦国の行く先を暗示する。
冒頭の、川田喜久治による「日の丸」(1962年)は象徴的だ。踏みつけられたような、地面の上の泥だらけの旗。終盤に出合う米国旗の写真と併せて、二つの国旗が時代を物語る。
戦後間もなく、土門拳は街頭の傷痍(しょうい)軍人を、田沼武能は戦災孤児の姿を記録した。補償の対象にならなかった孤児と、今では忘れられた存在である傷痍軍人。復興が進むなか社会から取り残されたのは、被爆者も同様だ。東松照明は61年に撮影した2枚で、ケロイドという可視化された傷だけでなく、見えない傷である原爆症も捉えた。
この戦争の傷を、米国が覆いゆくさまも写真は伝える。企画構成した東京工芸大の小原真史准教授は言う。「(米軍基地反対闘争や広島を撮った)土門には怒りがあり、東松は基地からアメリカが染み出てくるような現実を肌に感じていた。次の森山大道らの世代は、文化への憧憬と違和感が入り交じる」。ただその後、米国を意識した写真はほとんど見られなくなる。存在を「血肉化」してしまったからだ。
終盤の、高梨豊が87年に長崎で撮影した写真。平和祈念像の前に立つ少年は、星条旗柄のかばんを背負っている。モチーフ化するほど米国は日常に浸透し、少年にとって原爆で死んだ人々を悼む気持ちはあっても、もはや投下した国を意識することはない。沖縄に米軍基地を押しつけたまま米国と一体化する今の日本の姿も展示は照らし出す。東京・中野の同大写大ギャラリー(代表03・3372・1321)で11月2日まで。
2022年10月19日 毎日新聞・東京夕刊 掲載