展示室に入ると、いつもと異なる雰囲気に満ちていた。しゃがみこんだり、上の方を見上げる人がいたり。作品リストの紙を手に、静止してじっと見つめている。展示室内は全て写真撮影がOKなのに、他でありがちな、撮影にかかりきりな人も見かけなかった。コロナ禍で開催が延期されていた、ライアン・ガンダー展。1976年、英国生まれの作家は、オブジェや絵画、写真などを用いて「見ること」そのものに光を当てる作品を制作してきた。
足元にあるいくつもの黒い箱は「ウェイティング・スカルプチャー」。側面の光の目盛りは、「瞬きの間に目を開いている平均時間」(9秒)や「作家がこの文章を書く前の晩、2歳の息子が眠りに就くまでに待った時間」(240秒)等々の進み具合を示している。それぞれの異なる時間を感じながら、例えばうとうとする小さな子の愛らしさを、シンプルな黒い箱の前で思い描く。
拾った石を基に作家が考案した書体で、ある実験的小説の一節を表した印刷物。石の形の書体で表した文章に目を凝らした後、隣の監視員の首に石のネックレスがかかっていると気づく。さらに、この26の石がアルファベットに対応した先の新書体だと知れば、印刷物のところに戻って解読したくなる(読むのは難しかったけれども)。部屋の隅、額縁の上、天井も見逃せない。壁にある鏡では、鏡面ではなくちりよけの「布」に驚きが隠されている。
展示が誘うのは、よく見て、考えて、想像の世界で遊ぶこと。作品リストはさしずめ宝探しの地図だ。政府広告を模した作品では「想像力は世界をよりよい場所にする魔法」だと語り、壁から顔を出したネズミが、スマートフォンを手放せない私たちに、機械を独裁のためでなく自由のために使おうと呼びかける。
展示を見終わり気づいた。入り口の床にも黒いシート状の作品がちらばっていたことを。よく見る経験は、日常をほんの少し変える。東京・初台の東京オペラシティアートギャラリーで9月19日まで。
2022年8月31日 毎日新聞・東京夕刊 掲載