砂守勝巳の写真と被災資料が並ぶ

 災害と芸術との関係は、特に東日本大震災以降、しばしば取り上げられるようになった。災厄を表現することへのためらいも聞かれるなか、本展は雲仙・普賢岳の噴火災害を通し、表現を学ぶ学生が訪れる場で、表現行為の根源的意味を問いかけている。

 多摩美術大芸術人類学研究所の主催。同研究所の椹木野衣が監修し、写真家の砂守勝巳(1951~2009年)と、元高校教諭の満行豊人(みつゆきとよひと)(37年生まれ)を軸に据えた。

 砂守が93~95年に撮影したシリーズは静的な災害の風景だ。雑誌の取材で訪れた被災地だったが、「黙示の町」と名づけ自分の表現として発表した写真には、人の姿はない。時を止めたような光景は、時代を超えた災害の時間に在ることを告げているようだ。

 この地のキリシタン弾圧や、自身のルーツと関わる移住・労働の歴史も重ねて見ていたのではと、展示に協力した長女のかずらは話す。

満行豊人が描いた溶岩ドームの成長

 当時、地理教諭だった満行は、山の変化を定点観測した数万コマの写真を基に、後年、水彩画を表し始めた。膨大な絵は自然観察風のタッチで描かれ、添えた文章には、過去に対する自身の思いもにじむ。なぜ描くのか。時間をかけ手を動かすことによって得られる意味があったのだろう。

 他に焼けたカメラなどの被災資料や、約200年前の「寛政の島原大変」を伝える資料も展示する。「肥前温泉(うんぜん)災記」には、噴火の記録だけでなく、命を落とした人が幽霊となって出る場面まであり、描き手の心情が立ち上る。

 未知の光景をとどめたいという欲望、そして椹木が指摘するように、死者への慰霊や残された者にとっての希望。それらが混然一体となり、どうしようもなく現れるのが「表現」なのだろう。東京・八王子の同大アートテーク・ギャラリー2Fで、18日まで。

2022年6月8日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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