
大阪万博の今年、議論はいろいろあるにせよ、普段なじみの無い国の文化にアクセスする何よりの機会であることは否定しがたい。参加国にもその熱意を感じることができる。例えばポーランド--今年、大阪で万博パビリオン、東京で映画監督展と歌曲コンサート、そして京都国立近代美術館で「若きポーランド」展(29日まで)、さらに関連書(関口時正著)出版まで、一気に展開されている。
日本人にとってポーランドといえばまずショパンだろう。今年はショパン・コンクールの年でもあり、万博ポーランド館では毎日ショパンが奏でられているそうだ。一方で、ショパンが生まれたワルシャワではなく、ポーランド南部の古都クラクフで、祖国の独立を願って苦闘していた多くの画家たちがいたことも、あまり知られていないだろう。しかもクラクフはポーランドにおけるジャポニスムの中心地であり続けていると聞けば、俄然興味が湧く。
そもそも京都国立近代美術館はこれまで、「ハンガリーの建築と応用美術」(1995年)、「チェコ・デザイン」(2020年)、「フィンランドのテキスタイル」(23年)など、中欧・北欧関係の美術を精力的に取り上げてきた。それらに共通するのは、「西欧」の美術を貪欲に吸収しながらも、19世紀に高まった「自分たちの国家とは、民族とは何か」という芸術家の問いかけと応答でもある。
<若きポーランド>とは、1795年の三国分割から1918年の独立に至るまでの(つまりポーランドという国が地図上存在しなかった)期間のうち、独立への渇望と美術の革新を模索した、19世紀クラクフを中心とする画家グループとその活動を指す。ちょうどショパンのパリでの活動期(1831年から49年没まで)の「次世代」、世紀転換期の画家たちと捉えると分かりやすいだろう。これらの画家たちの特徴は、パリやウィーンの画壇と直接的な関係があり、印象派以降の画風を学びながらも、自分たちの国が置かれた状況を如実に反映して、象徴派的で時に謎に満ちた独自の表現に、自分たちの夢や主張を落とし込んだことだ。特にヤツェク・マルチェフスキの勇壮な作品群は目を惹く。同様に、貴重な女性画家であるオルガ・ボズナンスカの「菊を抱く少女」は、最初愛らしく見えながらも、次第にその黒く大きな両の眼に吸い込まれそうな、神秘的で儚い姿に釘付けになる。
世紀末、ポーランドのジャポニスムは、フェリクス・ヤシェンスキ(1861~1929年)という熱狂的な人物によって興隆した。彼はミドルネームに「マンガ」(=『北斎漫画』に私淑)と渾名するほどの心酔ぶりだった。しかも「いかにしてポーランド的であるべきか」を「国民美術の高みに到達した」日本美術から学べる--という独特な信念を持っていた。彼はワルシャワで膨大な日本美術コレクションを形成し公開したものの、全く理解されなかったため、全ての収集品とともに、自由な美術の地・クラクフに移住するという、数奇な人生を送ったのである。さらに展覧された浮世絵は、若き日のアンジェイ・ワイダ監督に強烈な印象を与え、同コレクションは現在、ワイダ基金で創設されたクラクフの「日本美術・技術博物館Manggha」で公開されているそうだ。日本とポーランドを結ぶ縁は、これほど多様であり、そして深い。=隔月で執筆。次回7月10日は、学習院女子大の今橋理子教授(日本美術史)です
2025年6月12日 毎日新聞・東京夕刊 掲載