1980年代以降、英語圏では「The New Museology(新しい博物館学)」という考え方が盛んになった。そこで重視されることのひとつが、展示は「誰か」がつくったものだという視点である。この当たり前といえば当たり前のことが、しかし今日の展覧会において意識されることはそれほど多くない。作品ひとつひとつを完結した、自律的な存在と見るならば、その展覧会の担当者が誰なのかは、そもそもさしたる問題にならない。そして、仮に企画者の名前を知りたいと望む鑑賞者がいたとしても、たとえばギャラリートークなどのイベントが開催される際には「担当学芸員による」と告知されるだけ。広報物でも、企画担当者の名前が記されることはまずない。展示という行為の主体は明らかにされることがないまま、常に曖昧なのである。
このような問題は、しばしばメディアでも取り上げられてきた(橋爪勇介「学芸員は名前が出せない? 美術館の(奇妙な)現状を探る」『美術手帖』2019年など)。学芸員の名前が出づらい状況は、一介の美術館職員が功名心にはやって自らの成果をアピールすることが不適切だという意識ゆえのことらしい。また、展覧会の主役はあくまで作品やそれを生み出した作者であるべきだから、これらを差し置いて学芸員が目立つことへの抵抗感もあるだろう。ただ、たしかな意図を持って選ばれ、ある脈絡に沿って置かれた作品は、物質としての違いがなくても、開催の時期や環境、展覧会の枠組みやキュレーションの思惑によって、その解釈の結果はまるで異なる。その確実で大きな違いは、企画の考え方、作品の選び方、見せ方、語り方などによってもたらされるものだ。そして、そこに深くかかわる存在こそが、展覧会にたずさわる学芸員にほかならない。
私は、学芸員の資格取得を目指す学生に対して、映画をつくることになぞらえて展覧会づくりの説明をすることがある。筋書きにあわせてもっともふさわしい役者をキャスティングし、よりよい演技を引き出すことが、展覧会に似ていると思うからである。実際には、仕事のすべてが一人の力で成り立たないことも一緒だが、好きな映画を監督の名前とともに記憶した経験は誰にでもあるだろう。それと同じように、企画したのが誰かという視点で展覧会が批評されるようになれば、鑑賞者との距離は適度な緊張感を持ちながらよりよい関係を築けるのではないか。
ここで江戸時代の絵画をあつかう学芸員のなかから私の推しを2人だけ挙げるなら、東京・根津美術館の野口剛さんと京都国立博物館の福士雄也さん。近年の仕事ではそれぞれ「鈴木其一・夏秋渓流図屛風」展(21年)、「雪舟伝説」展(24年)が忘れがたい。どちらの展覧会も広く深い学識によって支えられていたが、専門性の高い語りとともに有名な作品がただ置かれるだけではない。来館者の好奇心を刺激するような問いがいつもある。そのようなキュレーションの力を存分に発揮した学芸員の名前とて、一般の来館者にとっておそらく身近でないのは残念なことである。あの学芸員が企画した展覧会だから見たいと思われるようになるために、もっと学芸員の顔が見えるような試みが美術館には必要だ。
2025年10月13日 毎日新聞・東京朝刊 掲載