
「世界はなぜこれほどに暴力的で、痛苦に満ちている? と同時に、世界はなぜこれほどに美しいのか? この二つの問いの間の緊張と内なる戦いが、私の書き仕事を推し進める動力だと長い間信じてきた。」(斎藤真理子訳)
これは、アジア人女性として初めてノーベル文学賞を受賞した韓国人小説家のハン・ガン(韓江)が、2024年12月7日にストックホルムのスウェーデン・アカデミーで行ったノーベル文学賞受賞記念講演「光と糸」で語った言葉の抜粋である。この言葉を聞いたとき、ハン・ガンの短編集『回復する人間』に掲載されている小説「火とかげ」の物語が思い出された。
画家の女性が交通事故によって左手が不自由になり、それをかばうように右手も不自由になっていく。日常生活もままならず、夫との関係も冷えていくなか、旧友が久しぶりに電話をくれたことを機に、忘れていた事故前の記憶が蘇(よみがえ)り始める。「Q」という在日韓国人美術家の遺作展を見て、その生き様に感化された感情を思い出し、「自分には絵しかない」と自覚する。痛みを抱えながらも前を向いて静かに歩みだす女性の機微を描き出した、美しい物語である。
この「Q」のモデルとなったのが、在日韓国人1世の美術家、郭仁植(クァクインシク)(1919~88年)である。ハン・ガンは、鮮やかな色の点々を和紙に淡く重ねる手法で描いた郭の絵画作品を実際に鑑賞し、本作を執筆するインスピレーションを得たそうだ。
郭は現在の大邱広域市に生まれ、37年に渡日。日本美術学校に入学し、猪熊弦一郎らから絵画を学んだ。戦後、日本での活動を再開するために単身渡日するが、朝鮮戦争の動乱により故郷の親族が政府軍に殺されたことを知り、郭は亡くなる数年前まで韓国に戻らなかった。
60年代に入ると、日本の高度経済成長期によって街に出現した大きなガラス壁のビルから着想を得て、ガラスを割る作品を多数発表してきた。無作為でありながら絵画性を強く感じさせるそれらの作品は、在日韓国人として日本社会に溶け込む透明な自分自身の存在を、ハンマーでガラスを割ることで刻印しようとする意思を感じる。現在当館では、そのうちのひとつ「作品62-505」を展示している(4月8日まで)。この作品を通して、郭の作品もまたハン・ガンのスピーチ同様に、「苦痛のなかから見つけ出す世界の美しさ」を求める姿勢と重なるように思えて仕方がない。
60年代から、作為を極力施さずにモノの存在を際立たせることを探求した郭は、同時代の日本の美術動向の先駆けとも言えるのではないか。
私は連載の初回で「はずれ者が進化をつくる」と書き、社会的マイノリティーやディアスポラ(離散民)の美術を紹介してきた。郭の作品も「はずれ者の美術」のひとつであり、この世界に進化と豊かさを与えるものとして存在したことは間違いない。そんな「はずれ者の美術」を、今後も追いかけていこうと思う。
2025年2月11日 毎日新聞・東京朝刊 掲載