「パンソリ」をテーマに開催されていた第15回光州ビエンナーレのメイン会場=韓国・光州市で、高橋咲子撮影

【ART!】
名もなき人々の声を「見る」
韓国・光州ビエンナーレ

文:趙純恵(チョウ・スネ=福岡アジア美術館学芸員)

現代美術

 韓国の光州市で2年に1度開催される「光州ビエンナーレ」が、今年30周年を迎えた。アジア最大規模と言われ、「5・18民主化運動(光州事件)」の精神を受け継ぐ国際的な現代美術の場として、1995年に設立された大型国際美術展である。光州事件とは、80年5月、光州市で全斗煥(チョンドゥファン)による軍事クーデターに抗議した学生や市民たちが韓国軍により鎮圧され、多くの犠牲者を生んだ事件であり、韓国における民主化運動の原点となっている。光州ビエンナーレはこのような重い歴史を継承する意味が込められており、これまで数々の重要なテーマで開催されてきた。

 第15回の今回(1日で終了)は、フランス出身の美術批評家・キュレーターであるニコラ・ブリオーが芸術監督を務め、「パンソリ―21世紀のサウンドスケープ」という展覧会タイトルのもと、30カ国・73組のアーティストの作品を紹介している。さらに、国別パビリオン制度を設けている同展は、最大規模となる31カ国・都市・機関が参加し、光州市内全域にパビリオンを展開した。

 タイトルにも採用されている「パンソリ」とは、17世紀ごろから始まった朝鮮の民俗芸能のひとつで、物語に節をつけて歌う唱劇である。これを主題とし、ビエンナーレ全体を「名もなき声が立ち現れ共鳴する空間」と捉え、人間のみならず、機械や動物、精霊などをテーマとする作品を通して、パンソリの精神を再現することを目的としていた。

 本展のメイン会場となる光州ビエンナーレ展示館では、音の現象を表す三つの言葉をキーワードに、過剰な都市生活によって環境や人間生活が飽和した後のディストピアな未来を暗示するような作品や、気候変動による環境への影響を機械や動物の視点で描いた作品、シャーマニズムを近未来的な視点で捉え直す作品などが展示されていた。しかし全体的には、現実世界の暗澹(あんたん)たる状況に希望を感じさせる作品が少ない印象で、またこの傾向は年々強まっているが、メイン会場は現代的な社会課題を示す一方で、光州事件を想起させるような作品や仕掛けがさほど見受けられなかった。

 国別パビリオンには日本も参加し、福岡市主催のもと、「私たちには(まだ)記憶すべきことがある」を展覧会タイトルに、批評家・文化研究者の山本浩貴がキュレーターを務め、福岡市を拠点とするアーティストの内海昭子と山内光枝が作品を発表した。

 市内中心部にある「5・18民主化運動記録館」では、光州事件の歴史実証とともに、名もなき人々の声と民主的社会への思いが、充実した資料展示によって示されていた。戦争や難民、急激な気候変動によって被害を受ける人々の「叫び」がリアルタイムで聞こえる現在、光州事件の記憶を継承し、文化の社会的意義を問い直すという理念で始まった光州ビエンナーレの役割とは何か。現代社会を鋭く照射すると同時に、未来への希望や意志を示すことが今こそ求められていると感じた。

2024年12月10日 毎日新聞・東京朝刊 掲載

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