キムスージャ「演繹的オブジェ」1997年 福岡アジア美術館蔵=四宮佑次さん撮影

【ART!】
布から広がる精神世界

文:趙純恵(チョウ・スネ=福岡アジア美術館学芸員)

現代美術

 「福岡アジア文化賞受賞記念 キムスージャ展」が、福岡アジア美術館で開催中だ。

 福岡アジア文化賞とは、1990年にアジア地域の優れた文化の振興と相互理解および平和貢献のために官民が一体となり創設した賞である。今年で34回目となる本賞に、韓国を代表する美術家、キムスージャ(57年生まれ)が選ばれた。本展はこれを記念し、福岡アジア美術館が所蔵するキムスージャの「演繹(えんえき)的オブジェ」と、映像作品「針の女」を併せて紹介する内容となっている。

 展示室に入ると、花や孔雀(くじゃく)が鮮やかに散りばめられた韓国の伝統的な「新婚夫婦用ベッドカバー」が同サイズに切りとられて床に敷かれている。その上には「ボッタリ」と呼ばれる風呂敷包みがひとつ、静かに置かれている。

 韓国の日常でよく目にする庶民的な「布」が展示室に美術作品として置かれているのにはわけがある。よく目を凝らすと、ベッドカバーは新生活への前向きな気持ちを、ボッタリは定住した場所を離れなければならない悲しさをイメージさせ、伝統文化を残しつつも世界各地に移動せざるをえない人々の葛藤を感じ取ることができる。本作は、「演繹的オブジェ」と題され、一般・普遍から個別・特殊へと展開する推論を指す「演繹」という言葉を用いて、「ただの布」から「意味をもった布」へと変容させている。

 同展ではほかにも、「針の女」(99~2001年)のシリーズより、「東京」と「北九州」も展示している。これは、作者自身が大都市の雑踏のなかにただただ立ちつくす後ろ姿を映した映像作品で、都市に生きる人々のエネルギーを受け止め、自分自身を「針」として、複雑な世界をパフォーマンスという行為で縫い合わそうとする作品である。

 学生時代に「布に針を通すことで身体に衝撃が走った」という経験以降、キムスージャにとってその行為は、あちらとこちらの世界を行き来するもの、吐いて吸う人間の呼吸であり、生と死を想像させるものであった。さらに布に針を通す行為は、女性の家事や生きることそのものの象徴であることにくわえ、それらを強いられてきた女性たちに思いを馳(は)せる時間であり、瞑想(めいそう)であり、治癒であった。

 キムスージャは、韓国の民主化運動が盛んになる80年代から活動を始めるが、80年代後半から欧米へと拠点を移していく。そこでは、アジア人として、女性として、美術家としての困難や周縁性を、布を縫う、包む、解(ほど)くといった行為によって、見るものに静かに訴えかけてきた。

 90年代後半、日本で初めて作品を所蔵したのが福岡アジア美術館であること、さらに北九州での滞在など、キムスージャにとってキャリアの初期の場所が「九州」であったことを受賞記念の市民フォーラム冒頭で力強く述べていたのが印象的だった。本展は30年以上にもわたるキムスージャの活動を振り返る機会となっている。会期は10月29日(火)まで。

2024年10月14日 毎日新聞・東京朝刊 掲載

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