「あんたの熱意はわかるよ。そこまでやってすごいと思うよ。ただね、興味や関心を持って外からやってくるもんの心の持ちようと、自分の親が海女で、裸一貫命懸けで育ててもらったもんの気持ちは、根本が違う。どんなに調査しても研究しても想像しても、理解できるもんじゃない。内にもっとうもんが違う」
この言葉は、福岡県を拠点とする美術家・山内光枝(1982年生まれ)の、対馬博物館(長崎県)での個展「泡ひとつよりうまれきし」のなかで上映されている映像作品から引用したものである。海女の子として育った男性が、母と過ごした記憶を語る言葉を受け、実際に山内が海女の格好をして海に潜るセルフドキュメンタリーである。
対馬という島は古来、海に潜って貝類や海藻を取ることを生業とする海女などの海民文化が現代も息づく土地である。空気タンクなどを持たずに、潮に呼吸を合わせながら、数㍍の海底に潜る海女。彼女たちが海のなかで吐く息は無数の「泡」になって消えていく。「泡」は、現れては消える儚(はかな)い人間の一生を感じさせる。
山内光枝は2010年のはじめ、対馬の「曲(まがり)」という集落で撮影された裸の海女が海辺にたたずむ古写真との出合いに衝撃を受け、社会規範や固定観念にがんじがらめになった現代の人間が本来携えている「生」の豊かさを海女に見いだし、追いかけ始める。そして、日本統治下の朝鮮で生まれた福岡ゆかりの作家である森崎和江(1927~2022年)の『海路残照』(81年)から、日本海側の海女のルーツが福岡県宗像市鐘崎であることを知る。
さらに、海女文化の長い歴史がある韓国・済州島の海女学校に通い、素潜りの技術を習得して以降、黒潮・対馬暖流域の浦々の海女たちと共に海に潜りながら、彼女たちと自分の姿を捉えた映像作品をつくりあげてきた。山内の映像作品は、海を中心とした営みを通じて、また女性史を問うものとして、海に囲まれ暮らす日本やアジアを中心に共感を生んでいる。
本展に出品されている山内の最新作「泡ひとつよりうまれきし」は、山内が出合った古写真と同じ、曲が舞台となっている。曲は、島内で唯一漁業を専業とした集落であり、「裸海女」の里として知られている。家族を養うためにイッチョベコ(海女のふんどし)を締め、素肌を晒(さら)しながら海に潜る女性たちは、危険と隣り合わせの逞(たくま)しい「生」と、歴史に記録されずに消えてしまう泡のように儚い「生」のふたつが共存している。
山内は、そのふたつの「生」を追体験するように、裸海女と同じ格好をして潜り、海の底に必死に手を伸ばす。それはまるで、海女の子として育った男性の真摯(しんし)な言葉に、言葉や理屈でなく、全身全霊で触れて感じようとしているかのようだ。
日本と朝鮮半島の海峡に位置する対馬の公立博物館が、若手美術家の個展として初めて開催した本展では、山内の作品だけでなく、曲の方が復元制作した海女船や曲に伝わる海女漁の道具、写真家の芳賀日出男が撮影した海女の写真なども展示されている。9月23日まで。
2024年8月11日 毎日新聞・東京朝刊 掲載