新型コロナウイルス禍で「ステイホーム」が叫ばれたとき、「ホーム」は感染拡大から身を守る安全な場所を意味した。一方、「ホーム」が安全とはほど遠く、帰ることすらできない場所である人たちが、依然としてこの世界には大勢いる。そんな今、あえて「ホーム・スイート・ホーム」と銘打った展覧会が、国立国際美術館(大阪市北区)で開かれている。
国内外で活躍する8人の現代芸術家が歴史や記憶、アイデンティティーなどのキーワードで「ホーム」を捉えた作品が並ぶ。前半の展示で目を引くのは、薄暗い日本家屋の一間でまぶしい光を放つ、38本の蛍光灯だ。「38本」は太平洋戦争末期に日本の都市部に投下された焼夷(しょうい)弾1発あたりの子爆弾の数。戦前・戦中の日本家屋を題材にしたプロジェクトを手がける鎌田友介さん(1984年生まれ)が、新作のインスタレーションに用いた。
鎌田さんは6年ほど前から、日本人が日本国外に建てた家屋をリサーチしてきた。本展では韓国、台湾、ブラジル、そして米国で収集した部材や資料を再構成。韓国の古い部材を使った一間には、やはり蛍光灯をつるし、その光の下、朝鮮戦争の記録写真を展示した。日本の家を効率よく焼き尽くすため米国が開発した焼夷弾は、朝鮮戦争で再び使用され、日本の植民地の痕跡である日本家屋を焼いた。
米国での焼夷弾開発に携わったのが、日本のモダニズム建築に大きな影響を与えた建築家アントニン・レーモンドだった。最後の一間に展示された映像作品には、レーモンドが「建築家A」として登場する。戦後再来日したレーモンドは、ヤマハのビル設計をきっかけにピアノもデザインした。映像の背景には、晩年のレーモンドがピアノを調律する音が流れる。戦争や侵略を繰り返す国家と、その中で加害者にも被害者にもなる個人。単調なピアノ音は、その矛盾をあぶり出すかのように響く。
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アーティスト8人の来歴はさまざまだ。潘逸舟(はんいしゅ)さん(87年生まれ)は上海で生まれ、幼少時に青森に移り住んだ。「ほうれん草たちが日本語で夢を見た日」(2020年)は、鳥かごのような段ボールが雑然と置かれた空間に鳥のさえずりが聞こえるインスタレーション。「いつから日本語をしゃべれるようになったかはわかるが、いつから夢も日本語で見るようになったかは記憶が曖昧」という経験からタイトルを付けた。
「絵を描くということは、自分の散らばったアイデンティティーを集める作業でもあると思う」と話すのは、イギリス人の父とフィリピン人の母を持つマリア・ファーラさん(88年生まれ)。「言葉がないスタジオで一人で作業するのが、今の自分の『ホーム』」といい、幼少期を過ごした下関の海を描く油彩画など11点を出品した。一方、ソ連崩壊に伴う内戦で父を亡くし、故郷を追われたジョージア出身のアンドロ・ウェクアさん(77年生まれ)にとって、ホームは「メモリー」だという。代表作の一つ「タイトル未定(家)」(12年)は、現在は戻れなくなったジョージアの家を、自身の記憶や親族から聞いた話などをもとに形にした。
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企画した同館の植松由佳学芸課長は「我々は今、むしろビターな社会を生きている。展覧会タイトルには反語的な意味も込めた」と話す。それでも、「『ホーム』という言葉に何か希望の光を見いだしてほしい」と、石原海さん(93年生まれ)の映像作品「重力の光」(21年)で展示を締めくくった。
作品の舞台は北九州の教会。貧困や虐待など重い過去を背負った9人の男女が、それぞれの半生を語り、キリストの受難劇を演じる。語られる物語は苦しみに満ちているが、信仰と出会い、居場所を得たその表情には、小さな灯がともる。展示室内を照らす赤いムービングライトは、肯定された命を感じさせる。
竹村京さん(75年生まれ)は代表作の「修復シリーズ」のほか、新作インスタレーションを発表。韓国出身のソンファン・キム(75年生まれ)、アルジェリア出身のリディア・ウラメン(92年生まれ)両氏の作品は、それぞれ来日時に展示や上映が予定されている。9月10日まで。
2023年7月10日 毎日新聞・東京夕刊 掲載