「オウム貝、ヤップ島」(1958年、後期展示)
「オウム貝、ヤップ島」(1958年、後期展示)

 老若男女を描き、誰をとっても色香がある。虹色の美しい刷りによって、日本を含むアジアや南洋の人々を表したフランス生まれの絵師、ポール・ジャクレー(1896~1960年)の木版画全162点を紹介する「ポール・ジャクレー フランス人が挑んだ新版画」展が、東京・原宿の太田記念美術館で開催されている。

 ジャクレーはパリで生まれ、3歳のとき仏語教師だった父の仕事の関係で来日。早くから浮世絵を収集し、歌舞伎や義太夫にのめり込む趣味人だった。浮世絵を制作し始めたのは、1934年ごろから。助手として招いた朝鮮半島出身の兄弟に支えられ、64歳で亡くなるまで日本で暮らした。

 浮世絵を扱う美術館として本展は、ジャクレーの木版画を当時盛んだった「新版画」に位置付け、紹介する。「実は伝統的な浮世絵師の系譜に連なる人です」。企画した学芸員の日野原健司さんは話す。10代で日本画を学んだ池田輝方・榊原蕉園は月岡芳年の孫弟子にあたる。

酔い潰れた男。「宴からの帰り道、ソウル、韓国」(51年)
酔い潰れた男。「宴からの帰り道、ソウル、韓国」(51年)

 一方で、「異彩を放つ」存在でもあった。新版画の中心を担った版元、渡辺庄三郎の下で出版するのではなく、自分で費用を負担し、彫り師や摺(す)り師に依頼して制作し、頒布するスタイルをとった。コストを度外視した作品には、「当時の木版画の技術が詰まっていた」(日野原さん)。特注の和紙に、200回以上も摺りを重ね、「唯一無二の連作」と自慢したのが「満州宮廷の王女たち」。幼いころからあった布地、特に刺繡(ししゅう)へのこだわりがありありと浮かぶ。

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「打ち明け話の相手」(連作「満州宮廷の王女たち」より、1942年)©ADAGP,Paris&JASPAR,Tokyo,2023 E5060
「打ち明け話の相手」(連作「満州宮廷の王女たち」より、1942年)©ADAGP,Paris&JASPAR,Tokyo,2023 E5060

 展示全体でまず目につくのは、サイパン島やヤップ島などの人々を描いた作品だ。装いに細かく目配りし、布の柄や、髪に挿す花、ビーズのネックレス、ピアスや入れ墨も克明に描写する。静養を目的に、ジャクレーは日本の委任統治領だったミクロネシアの島々に何度も長期滞在していたといい、現地でも心引かれてスケッチしていたようだ。

 木版画ならではの美しい色合いも見逃せない。パープルやピンク、ブルーの淡い色のぼかしで表現した澄んだ空のグラデーション、花や貝に見られる鮮烈な色の取り合わせは特色の一つだ。七つの色をキーカラーに表す「虹」シリーズもあり、ジャクレーを「虹色の絵師」と呼びたくなる。

 「古代風の美人画ばかりが浮世絵ではない。現代老若男女を描くのもまた浮世絵である」(意訳)。当時、記した画家の信条は、朝鮮半島や中国の人々を主題にした作品にいっそう表れている。高利貸の中国人たちや、腰を下ろして休む朝鮮の塩売りのおじいさん。路上で酔い潰れてしまった男までいる。

 こうした点も、異色だったという。「伝統的な浮世絵は若い女性が中心で、男性は人気歌舞伎役者くらい。新版画では、アジアの他の国に取材した作品もあるが、風景が中心だった」(日野原さん)。

「とても面白い話、モンゴル人」(49年)。グラデーションによって、右の男の足裏の表現にも気を配る
「とても面白い話、モンゴル人」(49年)。グラデーションによって、右の男の足裏の表現にも気を配る

 さらに、ジャクレーのまなざしは、男性を魅力的に捉える。「とても面白い話、モンゴル人」(49年)は、右の男性の微妙な表情を巧みに描き、ひげのそりあと、上気するほお、赤い唇、長いまつげが色っぽい。色気といえば、「雪の夜、朝鮮」(39年)がまとう情緒も捨てがたい。なかには「バナナの樹の下で、トミル、ヤップ島」(48年)のように中性的な美しさがある人物もいる。

「雪の夜、朝鮮」(1939年)©ADAGP,Paris & JASPAR Tokyo, 2023 E5060
「雪の夜、朝鮮」(1939年)©ADAGP,Paris & JASPAR Tokyo, 2023 E5060

同作の部分図。繊細な彫りによるまつげ。目元が美しい
同作の部分図。繊細な彫りによるまつげ。目元が美しい

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 ミクロネシアや、朝鮮、中国、そしてアイヌの人々といった主題からは、植民地主義の時代を生きたジャクレーの視線が浮かぶ。横浜美術館での大規模展覧会(2003年)を担当した猿渡紀代子氏の論考によると、同じ名前のポール・ゴーギャンに自らを重ねて語ることもあったといい、文化人類学的な関心もあったという。

 ジャクレーは日本画の師に就く前に黒田清輝(後に久米桂一郎)に油彩を学び、木版画を制作する際には水彩画を基にしていたという。そういう意味でも、ジャンルをまたぎ、境界を飛び越えたところで独自性を発揮した人だったと言える。そもそも、彼自身が多文化性を体現する人だった。
 7月26日まで。前後期で全点展示替えし、前期は6月28日まで。後期は7月1日から。

2023年6月26日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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