日本を代表する女性画家の小倉遊亀(ゆき)(1895~2000年)。生誕地である大津市の滋賀県立美術館で「小倉遊亀と日本美術院の画家たち展」が開催中。初期から最晩年までの遊亀と、ゆかりのある作家の絵画が集まっている。
遊亀が画家として本格的に活動を始めた頃の作品が並ぶ。「童女入浴」(1926年)は、25年の再興院展に初出品した作品。同館の田野葉月主任学芸員は「結果は落選だった。制作と出品の年が違うのは、手直しして別の美術展に出品したから」と説明する。
26年以降は入選を重ね、32年に審査などを担う日本美術院の「同人(どうにん)」に女性で初めて推挙。90年からは理事長も務めた。
菊を生ける子供を描いた遊亀の「挿花少女之図(そうかしょうじょのず)」(27年)は、速水御舟のびょうぶ絵「菊花図」(21年、23日から展示)の影響を受けたとされる。御舟が用いた技法「細密描写」を取り入れている。
細密描写が与えた衝撃は強く、院展を席巻する。乱用が相次ぎ、違和感を覚えた遊亀は、新たな表現を模索する。画風を確立したのは戦後のこと。江戸期の画家、俵屋宗達の他、マティスやピカソを参考に、特有のデフォルメ感を得たとされる。母娘と犬が一列になって進む「径(こみち)」(66年)は、対象の愛らしい関係性を感じられるだけでなく、「幾何学的な要素をちりばめ、構図に安定感を出した」と田野学芸員は解説する。
「舞妓(まいこ)」(69年)は、遊亀の仕事をあまり褒めなかった師、安田靫彦(ゆきひこ)が高く評価した。安田の作品では「飛鳥の春の額田王」(64年)や「卑弥呼」(68年)を鑑賞できる。
安田が「北鎌倉の特産物」と評した遊亀の静物画も並ぶ。遊亀にとって重要な分野で、何気ない対象でも本質をつかみ取るために繰り返し描いた。鉢に生けたツバキを描写した「盛花(せいか)」(2000年)は、105歳で亡くなった時の絶筆。
6月18日まで。月曜休館。滋賀県立美術館(077・543・2111)。
PROFILE:
山脇新一郎
2023年5月22日 毎日新聞・東京夕刊 掲載