「死の舞踏、西暦1917年(死者の丘)」=版画集『戦争』より、1924年 高知県立美術館蔵

 防毒マスクをかぶり、手投げ弾を手に突撃する兵士たち、爆撃を受けた後の塹壕(ざんごう)--第一次大戦でドイツ軍兵士として戦場に立ったドイツ人画家、オットー・ディックス(1891~1969年)が戦後に制作した版画集『戦争』(24年)の全50点が一堂に会するコレクション展が、高知県立美術館(高知市)で開かれている。

 ディックスはドイツ中部のテューリンゲン州生まれ。ドレスデンの工芸美術学校で古典絵画を学ぶ傍ら、当時流行したキュビズムや表現主義などにも触れた。14年、招集され、第一次大戦に従軍。機関銃部隊に所属して各地を転戦した。戦地で描いた約600枚のスケッチを基に制作されたのが本作だ。

 担当した奥野克仁学芸課長は「ピカソの『ゲルニカ』やゴヤの版画集『戦争の惨禍』など戦争を主題にした作品はたくさんあるが、ディックスは実際に前線を体験している点が違う」と説明。50点のうち華々しい戦闘場面はほとんどなく、顔の一部や手足を失った兵士や腐乱する死体など戦場の「日常」のリアルを兵士の視点から銅板に刻んだ。

 大戦後のドイツで起こった芸術思潮「新即物主義」の代表的作家で、『戦争』は主要作品の一つ。人間の主観に重きを置いた戦前の表現主義とは違い、客観に徹した極端な写実表現で戦争や近代社会の矛盾を描き出した。「死の舞踏、西暦1917年(死者の丘)」は、鉄条網に兵士の死体が四方八方に円を描くように張り付く構図の妙が悲惨さを際立たせる。一方、休暇で街へ繰り出し、酒を飲み、羽目を外す兵士らの姿を活写した「ブリュッセルにやってきた前線の兵士」「アプランクールの居酒屋」なども。

 大戦後、ディックスはドレスデン美術アカデミーの教授となるが、ナチス政権下は「退廃芸術家」として公職を追放され、作品の多くが没収された。

 現在も世界で戦火は絶えない。人間の根源の姿を冷徹に見つめたディックスのまなざしを今一度、思い起こしたい。コレクションによる特集展示は22日まで。

「瀕死の兵士」=版画集『戦争』より、1924年 高知県立美術館蔵

2026年9月7日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

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