上空からのぞき見るように描かれるのは、田植えにいそしむ女性たち。画面から離れると構図の大胆さが、近づけば女性の表情や何気ない仕草が見て取れ、味わい深い。しかもこの絵が敗戦の年に描かれたと知ればなおさらだ。「僕はこれ、好きですね。まさに懐かしい日本の風景という感じ」と明治学院大の山下裕二教授は目を細める。
本作「早乙女」で幕を開けるのは、東京・渋谷の山種美術館で開催中の「川合玉堂-なつかしい日本の情景-」展だ。日本画家の川合玉堂(1873~1957年)は館の創立者、山崎種二と親交が深く、開館60周年を記念した特別展の第1弾として企画された。山下教授が監修を務める。
愛知に生まれ、岐阜で育った玉堂は円山・四条派の幸野楳嶺(こうのばいれい)の下で学び、竹内栖鳳(せいほう)ら門人たちと腕を磨いた。その後、橋本雅邦(がほう)の門下に入り、狩野派の様式を取り入れる。写生を重視した円山・四条派の伝統と、線描を主体にした狩野派の描法。「その両方のいいところを受け継いでいるのが玉堂」と山下教授は言う。
初期の代表作「鵜飼」(1895年)は岩の輪郭線が際立つ狩野派的な硬い筆致が特徴。一方の「朝江炊煙」(1903年)はほとんど輪郭線を用いず、墨の濃淡で岸辺の遠近を描き分けている。画面に漂うしっとりとした朝の空気。こうした臨場感は、目の前の光景を徹底的に写生してこそ生まれたものだろう。
大正期には琳派を熱心に研究したという。六曲一双の屛風(びょうぶ)「紅白梅」(19年ごろ)は、たらし込みによる幹の表現など尾形光琳の「紅白梅図屛風」の影響を感じさせる。ただ、玉堂は左右の梅の木の大きさにコントラストをつけ、光琳作にはない、シジュウカラを描き込んだ。伝統を継承しつつ、新境地を開こうとする画家の意志を感じさせる。

戦時下の疎開を機に奥多摩へ移住。冒頭の「早乙女」をはじめ、のびやかで牧歌的な風景画に円熟の筆がさえる。26日まで。
2026年7月6日 毎日新聞・東京夕刊 掲載