第61回ベネチア・ビエンナーレは、ロシアとイスラエルの参加に反対する美術家や活動家たちの抗議で幕を開けた。審査員団も開幕直前に総辞任したため、事務局が金獅子賞に代わって来場者の投票による「ビジターズ・ライオン賞」を打ち出すも、これを辞退する作家やパビリオンが続出するなど、異例づくしの展開だ。
私が訪れたオープニング最終日も、抗議の一環として閉館していたパビリオンが多く、会場のあちこちにパレスチナへの連帯を示すポスターが貼られていた。
こうした話題が先行しがちな今回のビエンナーレだが、アフリカ出身女性初の芸術監督となったコヨ・クオの「In Minor Keys(短調で)」という企画展は、非常に見応えがあった。「長調」による壮大なスペクタクルではなく、「短調」が象徴する密(ひそ)やかな語りや「マイナー」な問題に目を向けるという構想は、彼女が昨年病で急逝した後、残されたチームによって濃密な展示へと結実していた。
たとえば、ある展示室では、アマゾンの先住民族に出自を持つセリア・バスケス・ユイによる、さまざまな動物を象(かたど)った陶器が観客を迎える。その奥にはキューバ生まれのマリア・マグダレーナ・カンポス=ポンスが手がけた、コヨ・クオとトニ・モリスン(アフリカ系米国人初のノーベル賞作家)の肖像画と、彼女たちを讃(たた)えるようなマグノリアの立体作品が配置される。
他にも多くのアフリカや中東の美術家が、刺繡(ししゅう)や織物など現地の文化に根ざした手仕事の作品を見せており、総じて現代美術としての質が高いのが印象的だった。
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この企画展に日本から参加したのが嶋田美子とブブ・ド・ラ・マドレーヌである。
嶋田による「中ピ連」(中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合)をテーマにした連作とブブの≪人魚の領土-旗と内臓≫は、他国の作家と共鳴しつつ、大いに存在感を示していた。また別会場では2人が明治や昭和の人物に扮(ふん)した≪明治怒羅亜愚反帝戯画双六≫や≪昭和怒羅亜愚地下系双六≫が日本の近代史を風刺し、「主流の」歴史解釈に対してユーモラスかつ痛烈な異議申し立てを行っていた。
日本館の荒川ナッシュ医(えい)は、米国人男性と結婚して代理懐胎で双子を授かったことから、キュレーターの高橋瑞木、堀川理沙や複数の協力者とともに「子育て」をテーマに参加型作品を手がける。
観客は5・5㌔の赤ちゃん人形を抱いて展示を見て回り(抱かずに見るのも可)、おしめを替え、そこにあるQRコードから、その赤ちゃんの誕生日とその日に起きた出来事、またそれを題材に占星術師の石井ゆかりが書いた詩を読むことができる。
作家が次世代に伝えたいとして選んだ日付には#MeTooや日本の植民地主義に関するものもあり、そうした現在とも地続きといえる問題と「ケア」行為との組み合わせが奏功して、楽しそうな参加者で賑(にぎ)わう、人気パビリオンとなっていた。
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各国の展示も、歴史や政治を扱うものが多い。
マルタ共和国はその複雑な独立の経緯や現状を3人の作家によるウイットに満ちた展示で見せていたし、ウクライナは、ドネツクの公園にあったジャンナ・カディロワの≪オリガミの鹿≫を前線からビエンナーレ会場に退避させるミッションを映像作品に仕立てていた。
かつて、そこには核兵器搭載型の退役戦闘機が展示されていたが、ウクライナは独立後、旧ソ連の残した核兵器を放棄することでロシア、米国、英国から「安全の保証」を得たという経緯がある(1994年の「ブダペスト覚書」)。無事ベネチアに到着後、宙づりのまま展示されている鹿の彫像は、そのウクライナが現在ロシアから侵攻されているという事実を鋭く告発していた。

こうした「告発」は、パフォーマンス作品にも多く見られた。中でも圧巻だったのはオランダ館で、最初は観客に紛れ込んでいた演者が超重低音のがなり声で「ストップ」「エンゲージ」といった言葉を叫び出し、だが最後には「ラブ」「ユアセルフ」と他者に寄り添うメッセージへと昇華させていった様には心打たれた。
また、嶋田がアメリカ館の前で「ヤンキー・ゴー・ホーム」と声を出さずに口の動きで表現したプロテストや、企画展の作家たちがハミングしながらパレスチナへの連帯を示した集団アクションも、「短調で」というテーマと見事に呼応していた。
だが今回、「抗議すべき事案」を理由にビエンナーレそのものを辞退した作家はいなかったと推察する。日和見的な事務局や市場との結びつきへの批判はあれど、やはり長い歴史を持つベネチアの舞台は、なにかを発信できる場として美術関係者から尊重されているのだ。
ビエンナーレの存在意義は、そうした表現者たちによる行為や対話と、その表現に直(じか)に触れたいという観客たちの想(おも)いによって、かろうじて今も成立しているのではないだろうか。
2026年7月1日 毎日新聞・東京夕刊 掲載