閉幕日も混雑したイタリア館。設計はイタリアを代表する建築家のマリオ・クチネッラさんが担った。「ルネサンスの理想都市」を現代的に解釈したという=大阪市此花区で10月13日、根本佳奈撮影

熱狂冷めぬ大阪・関西万博イタリア館
時代に響いた「本物」の力

文:上村里花(毎日新聞記者)、反橋希美(毎日新聞記者)

大阪・関西万博

美術

 大阪・関西万博が閉幕して1カ月あまり。海外パビリオンで屈指の人気を誇ったイタリア館の熱狂がなお冷めない。会期中は最大8時間待ちの行列ができ、目玉となった彫刻などを紹介する大阪市立美術館(同市天王寺区)の特別展「天空のアトラス イタリア館の至宝」は、日時指定制のチケットが完売した。なぜ人の心を動かしたのか。

 ◇大阪の気風とSNS 「陽」の化学反応

 <芸術が生命を再生する>

 こんなテーマを掲げたイタリア館。「人気の最大の理由は、『本物』を持ってきたということです」と、西洋美術史に詳しい宮下規久朗・神戸大教授は説明する。

 まず館の「顔」となった、日本初公開の「ファルネーゼのアトラス」。日本では弥生時代にあたる紀元150年ごろに作られた約2㌧の彫刻で、ギリシャ神話に登場する巨人アトラスが天球儀を肩で支える姿が表現される。16世紀に天球と胴体などがローマのカラカラ浴場跡で発見され、後に手足などが補われた。宮下さんは「力強い筋肉の表現を見れば、ローマ時代の彫刻の高い水準が分かる。古代の神話と宇宙観を視覚化した、人類の至宝といっていい作品」と評する。

イタリア館に展示された「ファルネーゼのアトラス」(2世紀、ナポリ国立考古学博物館蔵)=長澤凜太郎撮影

 他にも、日本では2度目の公開となったミケランジェロの彫刻「キリストの復活」、レオナルド・ダビンチの直筆メモ「アトランティコ手稿」(15~16世紀)、ローマ教皇庁(バチカン)が出展したカラバッジョの代表作「キリストの埋葬」(1602~04年)--と名作が並んだ。イタリア館のマリオ・ヴァッターニ政府代表は、情報社会で人工知能(AI)が存在感を増していることを念頭に「AIは大事だが、あくまでも道具であり、一番重要なのは人間。そして、人間が新しい発想を生み出す源には文化が必要だ。それを伝えたかった」と話す。

大阪市立美術館で展示されているレオナルド・ダビンチ「アトランティコ手稿」第156紙葉 表<水を汲(く)み上げ、ネジを切る装置>(1480~82年ごろ、アンブロジアーナ図書館蔵)=上村里花撮影

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 宮下さんは「本来万博とは『モノ』の持つ迫力を重視してきたはず」と指摘。最新技術を使った映像やメディアアートを駆使したパビリオンが目立った今回の万博を「『モノ軽視』の万博」と表現する。

 まさに「モノ全盛の時代」だった1970年の大阪万博では、万国博美術館に有史以前から20世紀までの各国の美術品が並び、閉幕後には建物を活用して国立国際美術館も誕生した。

 「本物が持つ歴史の重みはデータでは得られない。他館が映像や最新技術を強調していたからこそ、逆にイタリア館が注目されたのではないでしょうか」

 このように「リアル」を求める風潮について「新型コロナウイルス禍以降、特に若い世代を中心に大きくなってきた」と解説するのが、博報堂メディア環境研究所の上席研究員、森永真弓さんだ。「リアルを封じられた体感が強かった分、物理的なものへの欲求が強い傾向にあります」。物理的なものとは「皮膚や五感で味わう体感」とも言い換えられる。「現地の砂漠から砂が運ばれたヨルダン館、巨大な竹簡を建物にあしらい、外観の迫力で圧倒した中国館が人気だったのも『物理』の力です」

 さらに森永さんは万博全体の評判を押し上げた「陽のインターネット」と「大阪のおばちゃんのコンテンツ力」に注目する。

 まず「陽のインターネット」とは「ポジティブな感想、反応が広がる状況」を指す。「万博は開幕前、メディアから大々的に批判されていました。そのカウンターとして、SNS(交流サイト)で『自分ぐらいはほめなきゃ』という空気感が醸成されていた大前提があります」。閉幕前は特に多くの来場者で大混雑したが、反発する声は広がらなかった。「健全なのかという疑問はわきますが、それも批判があまりに大きかったことへの反動ではないか」とみる。

 ポジティブな空気感が膨らんだのは「大阪という地域の気風」も背景にあるという。日本国際博覧会協会(万博協会)によると、オンラインによる「万博ID」を取得した国内の来場者のうち7割弱が近畿在住。「関東では斜に構えて批判する態度を『かっこいい』と考える人も多いですが、大阪の人は総じて明るい。『すごい』と思ったら、声に出して盛り上がります」
 実際、森永さんがあるパビリオンを訪問した時のこと。高齢女性が館のスタッフに「これどうやって運んできたん?」「ありがたいなあ」と話しかけ、周囲が笑顔になるのを見た。「こうした会話自体が万博のコンテンツ。『大阪のおばちゃん』のコンテンツ力を実感しました」

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 インターネットと大阪の「陽」の相乗効果は、イタリア館でもうまく機能した。

 美術教育が遅れているとされる日本では、鑑賞のポイントを読み解けるのは専門家や美術ファンら一部に限られる。だがSNSでは「いわゆる『美術教育観点』ではなく、初心者に分かりやすい解説があふれました」。館側が「時間差」で展示品を投入したことも功を奏し、その都度、話題になった。

 最大8時間の待ち時間も、作品を予習した人々は「並んでも見る価値があると確信している」から苦にならない。イタリア・ミラノ万博(2015年)で日本パビリオンに最大10時間の行列ができたという逸話もSNSで広がり、「だから仕方ない」と擁護する声すら生まれた。

 森永さんは「イタリア館の作品を鑑賞するというよりも、『この先イタリアに行かないかもしれない自分が世界で評価されているものを見られた』というバックストーリーが消費されていたのでは」と分析する。

 美術や芸術の振興につながるソフトレガシーは残ったのか。

 森永さんは取り組みを参考に、イベントや企画を成功させるカギとして来場者への「体験を深められるような予習できる情報」の提供と、「楽しみ方の自由」の許容を挙げる。「SNSの感想戦を恐れないこと。『美術に詳しくない素人も行っていい』という空気を醸し出せるかが大切です」

 今回SNSが果たした役割について、宮下さんも「美術作品は誰もが楽しめるもの。(制作背景など)少しの前知識があればいろいろと語りかけてくる」と認めつつ、美術や芸術に親しむ人を増やすためには「本来、地道な取り組みが必要」と強調する。

 欧州ではさまざまな階層、年代の人々が日常的に美術館に行く習慣がある。「そもそも盛り上がっていたのは関西を中心にした一部の地域だけでした。日本の美術教育は実技指導が中心。小中学校で美術史を教え、年に1度は美術館に連れて行く機会をつくるよう教育を見直すべきです」

 ◇大阪市美の関連展も大盛況

 大阪市立美術館で開催中の「天空のアトラス イタリア館の至宝」(来年1月12日まで)では、イタリア館で人気を博した3点を紹介する。

 彫刻「ファルネーゼのアトラス」、万博がイタリア国外での初公開となったラファエロの師、ピエトロ・バンヌッチ(通称ペルジーノ)の「正義の旗」、レオナルド・ダビンチの「アトランティコ手稿」だ。

 アトランティコ手稿は、ダビンチが研究や発想を書き留めた膨大な手稿群の一つ。12巻1119枚に及び、数学や天文学、物理学、建築など多岐にわたる考察や素描がみられる。作品保護のため万博の会期中も展示替えがあり、特別展では万博とは異なる紙葉2件を取り上げている。

 日時指定制のチケットは販売開始からまもなく完売し、今月21日から金・土・日・祝日の開館時間を2時間延長。18日以降は当日券の販売も始めたが、開館前から行列ができる人気ぶりとなっている。

2025年11月24日 毎日新聞・東京朝刊 掲載

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