
造形作家であり、批評家でもある岡崎乾二郎さんの約5年ぶりとなる大規模個展「岡崎乾二郎 而今而後」が、東京・清澄白河の東京都現代美術館で開かれている。岡崎さんにとって大きな変化が訪れたのち、2022年以降の新作を中心に、過去の代表作も網羅し、集大成にして新たな到達点を見せる。
岡崎さんは1955年、東京生まれ。絵画や彫刻にとどまらず、建築や環境文化圏計画、絵本、ロボット開発など幅広い分野で先鋭的な活動をしてきた。批評家としての著書には『抽象の力』『感覚のエデン』などがある。
新型コロナウイルス禍の21年、岡崎さんは脳梗塞に襲われた。右半身不随となり、医師からは「制作は不可能だろう」と告げられたという。だが、リハビリの末、足には今もまひが残るものの、手の方は大作が描けるまでに〝奇跡的に〟回復した。死と隣り合わせの大病を経験し、岡崎さんは身体的な感覚が大きく変化したという。岡崎さんはこれを「転回」と呼ぶ。
■ ■
本展は会場1階から3階までを使い、「転回」以前と以降を総覧できるよう展示。途中の2階でリハビリ中に描いた作品を挟んだ構成となっている。
最初の展示室では、初期の代表作が紹介される。「あかさかみつけ」「うぐいすだに」「そとかんだ」「かっぱばし」は、いずれも81年の制作で、平面のプラスチック素材に切り込みを入れ、着色し、折り曲げた立体作品。それほど複雑ではない、子どもの工作物のような造形と、実在の地名を平仮名にしたタイトルが、遊び心を感じさせる。作品と地名には関連性はない。だが眺めているうち、かの地の風景が目に浮かび、見る人それぞれが持つ街の記憶や経験が立ち上がってくる。

続く展示室には「あかさかみつけ」シリーズと「おかちまち」シリーズが左右に並ぶ。作品は同じ形のはずなのに、塗られた色が違うだけで、形そのものまで違って見える。「あかさかみつけ」を構成している断片から生成された立体作品「Blue Slope」「Yellow Slope」(いずれも89年)も、素材が金属に変わり、かなり大型になっていることで、印象はまるで違う。私たちが認識している「形」とは、いかにあいまいなものであるかを突きつけられているようだ。

92年から本格的に取り組み始めたのが、アクリル絵の具を使った絵画。画面いっぱいに躍動する筆触と、鮮やかな色彩は強いインパクトを与える。さらに特徴的なのは長文の作品タイトルだ。<軽くパーマしてください、わたしがそう言うと、なんてびっくりするような早さに手さばき。わたしはまるで猫の子みたいでした。でも油はつけないでね。>--詩情あふれるタイトルからはさまざまなイメージが広がる。

■ ■
「転回」後、22年からの作品は3階の展示室で紹介される。大画面の絵画作品は以前と比べ、より色彩が明るくなり、透明度やツヤ感が増している。「22年以降の作品は、技法的には連続性が認められますが、細部のテクニックの豊富さや色彩の複雑さなど、クオリティーの高さは明らかです」と担当学芸員の藪前知子さんは指摘する。

さらに藪前さんが驚いたのは、岡崎さんが30年ぶりに塑像に取り組んだことだという。美術作品の制作の中でも、塑像は一番、力の要る仕事だからだ。
岡崎さんは「子どものころ、一番得意だったのは粘土」だったという。「中退しちゃいましたが、彫刻科にも入った。いつか彫刻をつくりたいと思いながら時間がたってしまい、このままつくらないで終わるのかなと思っていたのが、すれすれ間に合った。今回の展覧会で一番うれしいのはそれです」と語った。
最後の展示室で目に飛び込んでくる塑像の圧倒的な大きさと迫力には驚くばかりだ。自分が箱庭の住人であるかのような錯覚さえ感じる。粘土による原型を高精細の3Dスキャナーで読み取り、拡大して彫り出した。拡大すると、通常は引き伸ばされた細部があいまいになるが、岡崎さんは「拡大しても細部がどこまでも出てくる」ほど、繊細な表現ができるようになったという。半身不随で再起不能と言われたことを考えると驚異的である。
展覧会のタイトル「而今而後」は『論語』から引いた言葉で「いまから後、ずっと先も」という意味。「世界は自分がいなくなった後もずっと続く」との思いを込めた。病を経験し、リハビリを経て「自分ではない、外側の力によって作品をつくらされているという感覚」を得たという岡崎さん。「転回」以後の作品はその説得力にあふれている。7月21日まで。
2025年6月16日 毎日新聞・東京夕刊 掲載