鳥取県立美術館の開館記念展で展示中のアンディ・ウォーホル「ブリロの箱」(手前、1968/90年)=上村里花撮影

 人口53万人の鳥取県に3月、県立美術館がオープンした。都道府県立としては最後発の美術館。高額購入費で物議を醸した、米ポップアートの巨匠アンディ・ウォーホルの「ブリロの箱」も開館記念展で公開されている。財政難の時代、人口最少県に美術館をつくる意味とは。尾崎信一郎館長=写真・上村里花撮影=に聞くと、混迷する社会で美術館の果たす役割が浮かび上がってきた。

尾崎信一郎館長=上村里花撮影

 県中央部の倉吉市に位置する3階建ての美術館は、元は市営ラグビー場だった広大な敷地に建つ。4月下旬に記者が訪れると、ガラス張りで光が降り注ぐ入り口にカラフルな箱が山積みされているのが目に飛び込んできた。

 展示室に入っていないのに、もう「ブリロの箱」?と思いきや、書かれた文字をよく見ると「Morillo」。現代美術家・森村泰昌さんが自身の映画作品のために制作した「モリロ・ボックス」(2016年)だ。遊び心ある空間の演出。尾崎さんは「ブリロの箱と間違えて、『いつの間にこんなにたくさん買ったのか』と聞く人もいるんですよ」と語る。

エントランスに展示されている森村泰昌さんの「モリロ・ボックス」(2016年)=同館提供

 鳥取県にはこれまで県立博物館(鳥取市)があるのみで県立美術館はなかった。新設の構想自体は1990年代に浮上したが、途中で凍結されるなど紆余(うよ)曲折を経て、2018年に基本計画を策定。博物館の美術部門が独立する形で開館にこぎつけた。

 全国的な話題になったのが、目玉コレクションとして県が22年に約3億円で購入した「ブリロの箱」5点だ。洗剤付きたわしのパッケージを模した木箱の作品で、報道されると「税金の無駄遣い」「作品の意味が分からない」と批判が殺到し、県は説明会を開くなどして理解を求めてきた。

 尾崎さんは06年から鳥取県立博物館に勤務し、21年には同館長に。美術館開設に準備段階から深く携わってきた。

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 そもそも都道府県立美術館が建設されたのは80~90年代がピーク。今、公立美術館新設の意味はどこにあるのか。尾崎さんが挙げるキーワードは「自由」だ。まずは空間としての自由。自身も鳥取県出身で、初めて本格的な美術館を訪れたのは大阪の大学に進学した後だった。「学校や家庭を離れ、何を考えてもいい場所がある」と感銘を受けたという。今、家や学校・職場とは異なる第三の居場所を意味する「サードプレース」という言葉がある。そのような「『自由な場』の一つとして美術館が存在する意義は大きい」と語る。

 新設した美術館には、1階に「ひろま」と名付けた開放空間をしつらえた。テーブルと椅子があり誰でも使えるほか、多様なイベントも開くことができる。記者が訪れた時は、赤ちゃん連れの女性たちが談笑する姿が見られた。「ふらっと来ても何かできる場、いつ来てもいい場所です」

 そして尾崎さんが重要視するのは、自由な精神を育む役割。というのも、美術、とりわけ20世紀以降の美術はその精神があってこそ、生み出されたものだと信じるからだ。

 大学時代、大阪・国立国際美術館の「今日のイギリス美術」展で受けた衝撃は忘れられない。イギリスの現代アートを集めた展示だったが「何が何だか、どれが作品かも分かりませんでした」。これまで学んできた「美術」というカテゴリーを超える作品群に驚き、圧倒された。教科書でも図録でもなく「実物」を見るという体験も感情を動かした。「唯一のものをその場で見るという経験は一期一会のもの。感性が豊かな若い世代にこそ、そういう場が近くにあることは大切ではないでしょうか」

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 大量生産・大量消費社会を表現した「ブリロの箱」はウォーホルの代表作で、20世紀美術の転換点とも評される。だが60年代の発表当時は「これが芸術か」と議論を呼んだ。尾崎さんは、美術館の開館記念イベントに登壇した森村さんの発言を引きながら「それが再び議論を呼ぶのは、まさに作品が今も生きている証拠ではないでしょうか」と話す。

 作品への理解を深める取り組みもしている。「美術史における文脈をきちんと提示することで評価は変わる」。開館記念展では、既製品を美術品として提示する「レディーメード」の始まりとなったマルセル・デュシャンの作品とともに、その流れを押し広げた「ブリロの箱」をはじめとするウォーホルの作品を並べ、20世紀美術の潮流を浮かび上がらせた。15日までの記念展終了後も常設展で新たな見せ方を検討する。

 県は開館3年をめどに「ブリロの箱」の保有の是非を再検討する方針で、記念展では来館者へのアンケートを実施。5月18日までの途中集計では「今後も保有してほしい」という回答が39%だった一方、保有について再検討を望む声も18%に上っている。

 気になるのは運営の収支面。館の目標来館者数は年間約20万人で、4万人強の倉吉市の人口規模からすれば相当の努力が必要になる。

 館は民間の力を導入したPFI方式を取る。重要な役割である収集・保存・展示は県が担い、専門の学芸員があたる。一方、集客や広報を含めた施設運営は、大和リースや竹中工務店など10社でつくる「鳥取県立美術館パートナーズ」(SPC)が担う。尾崎さんは「集客に軸足を置いた企画展も開催し、バランスよく運営したい」と話す。もう一つ重視するのは、教育普及活動。核になるのが県内の小学4年生を招待する「MUSEUM START BUS」で、美術館に触れる機会をつくる。

 「答えが一つに決まった問いではなく、答えがいくつもある問いに触れる。それが美術鑑賞の意味です。人生にそういった場所があるのは、この分断が進む時代においてとても大切なことです」

2025年6月10日 毎日新聞・東京朝刊 掲載

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