藤田嗣治と国吉康雄、近藤赤彦が共同制作した色紙。国吉が中央の牛、近藤が手前の牛を描き、左上に藤田嗣治のスケッチが残されていた=トム&シェリル・ウルフ氏所蔵

 20世紀前半、フランスと米国でそれぞれ活躍した藤田嗣治(1886~1968年)と国吉康雄(1889~1953年)が、戦前のニューヨークで寄せ書きした色紙が見つかった。太平洋戦争下の行動が対極的だったことから「不仲説」がささやかれてきた2人の画家の、直接交流を示す貴重な資料。14日から兵庫県立美術館(神戸市)で開催される特別展「藤田嗣治×国吉康雄〓二人のパラレル・キャリア-百年目の再会」で初公開される。

 藤田は20年代、「乳白色の肌」の裸婦像で一躍、パリ画壇の寵児ちょうじとなり、名声を確立。戦中は帰国して軍の要請で作戦記録画を描いたため、戦後、「戦争協力者」と批判を浴びた。一方、国吉は岡山から労働移民として渡米。苦学の末に米国の画壇で確固たる地位を築いた。開戦後も米国にとどまり、日本の軍国主義を批判。制作を続けた。

 同時代を生きた2人は、国は違えど海を渡った日系画家として共通の知人は多く、戦前、それぞれが渡米、渡仏した折に交流の機会もあった。31年に国吉が一時帰国した際、藤田が知人の画家宛てに紹介状を書いたこともわかっていたが、直接の出会いを示す資料はこれまでほとんど見つかっていなかった。2人の立場の違いが決定的となった戦後は、会うことがなかったとされる。

 今回見つかった色紙は、国吉のドローイングとして、長らく関係者の手で保管されていた。中央には国吉が好んで描いた牛が独特の鋭角なシルエットで描かれ、手前には別の画家によるもう1頭の後ろ姿が描かれている。

 2年前、国吉研究の第一人者、トム・ウルフ米バード大名誉教授が色紙を入手。展覧会に向けた調査の中で裏書きが確認され、色紙が30年11月18日、パリからニューヨークを訪れた藤田の歓迎会の席で描かれた寄せ書きであることが判明した。

 裏書きには藤田、国吉と、後ろ姿の牛を描いた日本画家、近藤赤彦の名が記されていたことから色紙を再確認したところ、上部に藤田のサインと線描の痕跡があることがわかった。

 今春、米国から色紙が兵庫県立美術館に届き、学芸員がさらなる調査を実施。その結果、残された線描は退色し消えかかっていたイラストであることがわかった。描かれているのは「牛めし」と書かれたのれんで、藤田らしいユーモアと機知に富んだイラストであると同時に、その場の和やかな空気を感じさせる。

色紙に残されていた藤田嗣治のスケッチ(一部加工して線を強調しています)=兵庫県立美術館提供

 この翌年9月には満州事変が勃発し、その後の戦争は2人の運命を大きく分かつことになった。「藤田と国吉の関係にはさまざまな風評があるが、展覧会に向けては、それに縛られずに地道に調査した」と同館の林洋子館長。「このまま歴史のクレバスに沈んでいたかもしれない、2人の直接の交流を示す貴重な資料を見つけることができた」と話す。

2025年6月5日 毎日新聞・東京朝刊 掲載

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