
3月末に開館した鳥取県立美術館(同県倉吉市)で開館記念展「アート・オブ・ザ・リアル 時代を超える美術」が開催されている。副題に「若冲からウォーホル、リヒターへ」とあるように、江戸期から現代までの長いスパンかつ、国内外の幅広い範囲の作品を集めた展示だ。尾崎信一郎館長が「これだけの規模の展示は二度とできないかもしれない」と語る大規模展となっており、作家約100人の作品計約180点が並ぶ。
美術にとって「リアル」とは何か。時代と共に変遷する「リアル」を追い求める中で、写実の追求から始まり、キュービズムやシュールレアリスム、ポップアート、ミニマルアートなど、さまざまな運動が生まれていく過程の一端を本展では目撃することになる。
7章構成で、1~4章は大きく美術史の流れに沿って展開。同館のコレクションの基幹を成す土方稲嶺や沖一峨、島田元旦ら近世鳥取画壇の絵師たち、リアリズムを表現の根幹に据えた洋画家・前田寛治や、写真家・植田正治、彫刻家・辻晋堂ら地元作家の作品のほか、高橋由一、岸田劉生、ギュスターブ・クールベ、クロード・モネ、ゲルハルト・リヒター、パブロ・ピカソ、ジョルジョ・デ・キリコ、藤田嗣治らそうそうたる顔ぶれの作品が一堂に会している。最初の展示室で、いきなりクールベ、モネ、アンリ・マティス、ピカソの作品が並んで見られるのも本展ならではだろう。近代以降の美術の流れを「リアル」という視点から見渡すことができるユニークな展示だ。

開館前から購入額を巡って物議を醸したアンディ・ウォーホルの「ブリロ・ボックス」(ブリロの箱)は、3章「日常と生活」で登場。既製品を美術作品として展示する「レディーメード」の発想を20世紀美術にもたらしたマルセル・デュシャンの「自転車の車輪」(1913/64年)と、それをさらに押し広げたウォーホルら60年代の米国のポップアートの動きを紹介する中に、5点の「ブリロ・ボックス」も存在している。「こうした文脈の中で見てほしい」と尾崎館長は力を込める。
■ ■
「見せ方」の仕掛けもあちこちにある。
1、2章には、18世紀の日本を代表する画家、円山応挙と伊藤若冲がそれぞれ淀川を描いた画巻を見比べる趣向も。「写生派」の応挙は、岸辺の地形や人々の様子まで緻密に描き、「今」の淀川を画中にとどめようとしている。一方、「奇想派」の若冲は、モノクロで省略された線で描き、中国の風景になぞらえ、風雅を表現した。両者それぞれの「リアル」の表現の違いを感じ取れる。
また、西洋の伝統的主題である「横たわる裸婦」を日本の近代洋画家たちがどう捉えたかを見せる展示も興味深い。前田寛治はこの主題を好んで描き、作品も多数残しているが、本展では1925年作の前田の「仰臥裸婦」と、前田が私淑したクールベの「まどろむ女(習作)」(1852年)▽西欧の裸婦像の理想とは異なる小出楢重の「横たわる裸女(B)」(1926年)▽藤田嗣治の代名詞とも言える「素晴らしき乳白色」が見事に表現された「横たわる裸婦」(37年)--が並べられ、そのバリエーション、主題への各作家のアプローチの違いが見て取れる。
■ ■
5章以降は「事件と記憶」(5章)▽「身体という現実」(6章)▽「境界を越えて」(エピローグ)--と、テーマに沿った内容となっている。5章は、戦争や災害など社会的に大きな事件と向き合う作家たちの作品を集めた。目玉の一つは、藤田の戦争画の代表作「アッツ島玉砕」(43年)だ。西洋絵画の古典的構成を駆使し、兵士一人一人の表情まで細かく描き込んだ鬼気迫る作品を間近で鑑賞できる。
シリアの都市を撮影したハラーイル・サルキシアンさんの「処刑広場」シリーズ(2006年)は一見、早朝の人けのない街の風景に見える。が、タイトルが示すように公開処刑が実施された場所を撮ったもので、シリア内戦下の過酷な政治状況が示されている。その隣には、沖縄出身の照屋勇賢さんの紅型(びんがた)作品「You−I Flat Work Large」(09年)。琉球の伝統的染色を用い、米軍の爆撃機やパラシュート部隊、沖縄の海に生息するジュゴンなどが表現されている。

本展では「若手や女性、第三世界の作家も意識した」(尾崎館長)という。女性作家の作品では、美術と舞台の両分野で活躍するやなぎみわさんの鳥取砂丘でロケをした第53回ベネチア・ビエンナーレ国際美術展出品作「Windswept Women2」(09年)ほか▽90年代に「再発見」され、再評価が進む岡上淑子さんの50年代のコラージュ作品▽写真家・志賀理江子さんが宮城県の海岸で撮影した一連の作品▽オノ・ヨーコさんの64、65年の「カット・ピース」(映像)--なども見応えがあり、注目だ。6月15日まで(期間中、展示替えあり)。
2025年5月12日 毎日新聞・東京夕刊 掲載