
「抽象絵画を創案」「米グッゲンハイム美術館で史上最多の60万人を動員」「アジア初の大回顧展」と惹句(じゃっく)が並べば、見に行くほかない。近年になって再評価が進むスウェーデン出身の女性画家、ヒルマ・アフ・クリント(1862~1944年)の個展「ヒルマ・アフ・クリント展」が東京・竹橋の東京国立近代美術館で開催されている。出品される約140点を日本で初めて見る機会となるだけでなく、美術史上にどう位置づけるのか、現在進行形の試みを目撃することになる。

展示室の冒頭には、らせん階段や人体のデッサン、父の肖像画や風景画がある。いずれも緻密で、オーソドックスな作風だ。
アフ・クリントはストックホルムの裕福な家庭に生まれ、1882年に王立芸術アカデミーに入学。その後、職業画家としてのキャリアを歩み始める。同時に、17歳のころから関心を深めていったのが神秘思想だった。特に19世紀に創設された神智学に傾倒し、96年に4人の女性とグループ「5人」を結成する。
ここで展示されるのは最初の絵とは大きく異なる。スケッチブックなどに膨大なドローイングが残されているが、渦巻くような円やメビウスの輪のように円を拡張したもの--などが線で表されている。併せて線対称の構図や、文字が書き入れられていることにも目が留まる。
5人は交霊術によってトランス状態になり、「高次の霊的存在」から受け取ったメッセージを記録したのがこのドローイングなのだという。上記の絵画上の特徴は、以降のアフ・クリント名義作品にも受け継がれる。

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神智学的教えについて描くように告げられ制作を始めたのが、代表的作品群と位置づけられる「神殿のための絵画」のシリーズ。物質世界からの解放や霊的能力を高めることによって人間の進化を目指す--というもので、1906~15年に制作された。
花びらのように中央から放射線状に広がるイメージや、画面を斜めに上昇するような線、あるいは表のような構図が見られるが、いずれも図的な印象を残す。

作品群のなかでも中核にあり、多くの人をひきつけているのが「10の最大物」。一番の特徴である、縦3㍍超、横2㍍超の大画面が、暗い部屋を周回するように展示されている。「楽園のように美しい10枚の絵画」を制作するという啓示を受け、人生の四つの段階について、07年に2カ月で描き上げたというシリーズだ。
軽やかな色彩はもう一つの特徴で、色に象徴性を込めたのか、ブルー系の幼年期、ビビッドなオレンジの青年期、モーブ系の成人期、ローズから白っぽくなる老年期、と段階によって変化していく。色彩を〝浴びた〟後によく見れば、色むらやぎこちない線、大きなサイズでは珍しいリラックスした画面構成であることにも気づく。
画面の大きさには後の抽象表現主義などを重ねたくなるが、サイズの側面だけで言うと、シリーズ名通り教会の壁画に近似性があるのではないだろうか。
22年と33年に描かれた「花と木を見ることについて」や「原子シリーズ」(17年)など、「神殿~」以降に植物や自然科学的現象を描いた作品は、説明的ではない創造性をたたえ、抽象性の点でも魅力的だ。
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アフ・クリントは晩年まで作品群の体系化に取り組むが、神殿の実現はならず、1000点以上の作品や資料類を残して81歳で死去。ほとんど知られることがなかったが、転機は2010年代にやってきた。13年から回顧展が欧州で巡回し、18年には米グッゲンハイム美術館で開催された展覧会に、60万人が訪れた。以降、世界各地で展覧会が相次ぐ。
美術史の見直しが進む時代にあって、「スウェーデン」の「女性画家」の発見は、展覧会を開催する側には歓迎すべきものでもあったのだろう。「カンディンスキーやモンドリアンに先駆けて抽象画を描いた」という売り文句について、東京国立近代美術館美術課長の三輪健仁さんは「戦後に絵画のメインストリームで起こったことが、作品のなかで既に予見されていた。1番、2番争いではなく、現在は、もっと幅広い時間のなかで先駆性が語られている」と説明する。
一方、神秘主義は現在のようにマイナーな存在ではなかった。保守的な既存の宗教や美術界にあって、女性も活躍できる神智学などはアフ・クリントらにとって魅力的だったのだろう。自然科学が発達する一方、混迷を極める時代にあって、このような表現が生まれたこと自体が興味深い。
美術史にどう位置づけるのか、あるいは位置づけようとすることそのものが前時代的な行為なのか。いずれにしても議論を豊かにする展覧会だ。6月15日まで。
2025年4月21日 毎日新聞・東京夕刊 掲載