
2025年は日本における西洋美術史研究の先駆者、矢代幸雄(1890~1975年)の没後50年にあたる。矢代は生涯を通じて幅広い交友関係を持ち、文化行政や文化財保護、美術研究所や美術館の設立など多岐にわたる事業に携わり、国際的に活躍した。奈良市にある大和文華館の設立に深く関わったことも知られる。節目の年に、功績を改めて振り返ってみたい。
矢代は東京美術学校(現・東京芸術大)で西洋美術史の教授となった後、21(大正10)年に欧州に留学。25年に帰国した後、ルネサンスの画家であるサンドロ・ボッティチェリに関する英文の著書『SANDRO BOTTICELLI』を出版し高く評価された。その後、帝国美術院附属美術研究所(現・東京文化財研究所)の所長を経て、近畿日本鉄道(現・近鉄グループホールディングス)の依頼で文化事業の構想を進める。終戦の翌46年に発足した財団法人大和文華館で、当時の近鉄社長であった種田虎雄から作品の蒐集を一手に任され、60年に開館した館の初代館長に就いた。
激動の時代を生きた矢代が著書の中で繰り返し述べているのは、美を楽しみ、愛することの歓びと大切さである。欧州留学の集大成としてまとめ上げた『SANDRO BOTTICELLI』から第1版の序を引用したい。
「これは芸術の書である。芸術は人間の胸に訴えかけるものである。(中略)私はボッティチェルリを愛し、彼について研究した。それ以上でもそれ以下でもない。私は自分の喜びを書き留めた。他の人々がこの喜びを共にするよう、いやむしろ他の人々が自身の眼を開き、それぞれの好みのままに芸術からより大きな喜びを得られるようにと、書き留めたわけである。私は本書が純粋に学問的な頭脳の持ち主よりもむしろ、美を愛する点で趣味性向を同じくする人々に届くことを願っている」
本書は研究書でありながら、矢代は「芸術の書」と述べ、ボッティチェリの絵画作品を研究対象というよりも、自らの喜びの対象として捉えている。
大和文華館の所蔵作品は東洋古美術を主体とする。矢代幸雄が東洋美術に造詣を深めた背景には、美術品蒐集家で芸術家のパトロンでもあった原三溪との交流が大きく影響し、また、欧州への留学により国際的な視野から日本美術を強く意識したことなどが挙げられる。さらに35、36年にはロンドンで開催された中国芸術国際展覧会に立ち会い、多くの作品を目にした。その後、中国に幾度も訪れ、芸術を生み出した文化を肌で感じようと努めており、感銘を受けたことが分かる。
大和文華館は矢代の没後50年を記念して特別展を開催する。矢代幸雄が蒐集した国宝「婦女遊楽図屛風(松浦屛風)」(江戸時代、5月6日まで展示)や国宝「雪中帰牧図」(李迪筆、中国・南宋時代、5月8日から展示)をはじめとする初期のコレクションとともに、矢代が高く評価した重要文化財「孔雀立葵図屛風」などの作品を展示し、矢代幸雄が美術へ注いだまなざしから、東洋美術研究の足跡と視点をたどる。
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特別展「没後50年 矢代幸雄と大和文華館-芸術を愛する喜び-」は奈良市の大和文華館で12日~5月25日。月曜休館(5月5日は開館し7日休館)。問い合わせは同館(0742・45・0544)。
2025年4月9日 毎日新聞・東京夕刊 掲載