
◇受賞 小柴一良さん 『水俣物語 MINAMATA STORY 1971-2024』
第44回土門?賞は小柴一良さん(77)の『水俣物語 MINAMATA STORY 1971-2024』に決まった。1月末に東京・竹橋の毎日新聞東京本社で開かれた選考会では、複数の選考委員から「現在性を感じさせる」と評価する声が上がった。
プロ、アマ問わず、ドキュメンタリーに軸足を置いた表現に贈られる。選考委員は、写真家の大石芳野さんと北島敬三さん、石川直樹さん、作家の梯久美子さん、砂間裕之・毎日新聞社常務が務めた。
受賞作は、水俣病の患者らの日常を、取り巻く風景と共に半世紀にわたって捉えた写真集。大阪生まれの小柴さんは1971年から水俣を撮り始め、74年に移住。後にこの地を離れたが、2007年から再び通い、撮影を続けている。
最終選考にはこの他、岩波友紀さん(77年生まれ)『Blue Persimmons』(赤々舎)▽小池英文さん(同64年)『THE DELTA Ganga Sagar Island 1999-2024』(PRASADA BOOK)▽鶴巻育子さん(同72年)『ALT』(Jam Books)▽馬場靖子さん(同41年)『あの日あのとき 古里のアルバム 私たちの浪江町・津島』(東京印書館)が残った。




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「(土門?賞は)桑原史成さんが『水俣事件』などで14年に受賞しているが、『水俣物語』は対照的。桑原さんの写真は、ジャーナリスティックで、記録に残そうとする強い意志があるのに対し、『水俣物語』は記録性から離れたところのよさがある。著名人はほとんど出てこないし、写真集のつくりもテーマ別で時代が混在している。一枚一枚の写真の強さで構成している」。梯さんが口火を切った。大石さんも「時代の流れが分かると同時に、何も変わっていない(問題が解決していない)ことを水俣から遠い人間に知らせてくれる意義がある。以前候補に挙がったときより表現も深まり、見応えがある」と小柴さんを評価した。
砂間常務は「作り込んでいるが、今のリアルを表している」(『ALT』)、「ガンジス川という生と死の結節点を捉えた美しいドキュメンタリー」(『THE DELTA~』)と述べ、鶴巻さん、小池さんを推した。また、梯さんは鶴巻さん、大石さんは小池さんの名前も挙げた。
一方、石川さんは小柴さんや小池さん、鶴巻さん、馬場さんを挙げつつ、「どの作品も推しきれるものがない」と逡巡(しゅんじゅん)。北島さんはまず、「膨大な情報量で伝えるだけでなく、小さなスケールの写真でも、それを見ることで想像力が働く場合がある。そういう記録の可能性もあると思う。写真にはいろんな機能があり、選考にあたっては写真という問題も考える必要がある」と話すにとどめた。
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「写真の問題」という意味で議論をもり立てたのは、『あの日あのとき』。福島県浪江町津島地区の住民だった馬場さんが、東京電力福島第1原発事故前から撮り続けたものだ。石川さんが「これを推そうと思ったけれど、写真の種類が少ない」と話題に挙げると、北島さんは「この人は自分の共同体のなかで撮っている。だったらこういう写真でいい。厳しくないのがいい」と推した。さらに炭坑絵師の山本作兵衛を例に出しつつ、「他者を撮るなら、その人は何者かと必ず問われる。でも市民が自分で自分を表すなら、そういうこととは関係ない」と指摘。それに対し、梯さんは「物書きとしては喚起されるものがあるが、写真のプロが『こういう表現もある』と発見する話であって、土門?賞かというとちょっと違う」と述べた。
終盤、議論は再び小柴さんの『水俣物語』に。水俣に行ったことのない自分が写真集を見て「仕事が重大ですね」と推薦していいものか--。石川さんが迷いを吐露すると、北島さんも「自分の写真の関わり方とはあまりにも違うので、そういう意味でも責任がとれない」と同調。この意見に、戦争を巡って著書が多数ある梯さんはうなずきつつも、「例えば原爆に関する作品を評価するのはひるむ。でも審査はそれを乗り越える勇気がないと。小柴作品を落とす理由がない」。大石さんも「彼は今も撮り続けていて、将来も水俣に関わり続ける覚悟があると思う」と言及。ただの集大成ではなく現在性があると述べる2人に、北島さんも「受賞すれば、現在として実践性を持つ」と得心し、最終的に小柴さんに決まった。




2025年3月31日 毎日新聞・東京夕刊 掲載