
芝居がかっていて、はたから見ればふざけていたり、こっけいだったり。そんな表現は、よくある思わせぶりなスタイルとはまるで異なる。悲劇的日常のさなかにあって、それはどんな意味をもたらすのだろう。
26年ぶりに共作した嶋田美子さん(1959年生まれ)とブブ・ド・ラ・マドレーヌさん(61年生まれ)の「明治怒羅亜愚反帝戯画双六」は、錦絵すごろく仕立て。黒船来航の「振り出し」から、鹿鳴館の「脱亜入欧」や対外進出、日清・日露戦争……と進み、「上がり」は韓国併合の1910年だ。コラージュされた渋沢栄一や女性教育者・下田歌子ら登場人物は、嶋田さんやブブさんが扮(ふん)していて、手作り感満載の細部に噴き出すことも。
同時に、「上がり」に書かれた「ふり出しにもどる」の文字に、ぞっとする。近代日本の揺籃期(ようらんき)にさまざまな選択を経て、今の日本がある。そう思ってこの文字を見ると、過ちを繰り返す歴史の象徴に思えてくるからだ。
サモア生まれのユキ・キハラさん(75年生まれ)の日本の流行歌を冠した「酋長(しゅうちょう)の娘」シリーズでは、ヤドカリのように貝殻からたくさんの人形の手が突き出ている。ふっくらした褐色の腕は、かつて売られていた土産品の人形のもので、西欧社会やそれに追随した日本が自分たちの身体や文化に向けたまなざしをあぶり出す。
シンガポールのミン・ウォンさん(71年生まれ)は、批評家・作家スーザン・ソンタグならぬ「スーザン・ウォンタグ」としてセルフポートレートを展示。なりゆきで企画が決まったという本展だが、ソンタグが提唱した「キャンプ」の感覚がウォーターメロン・シスターズを含む参加作家の5人をゆるやかに結ぶ。批評的な笑いは、一方的な見る・見られるの関係、つまり固定化された力関係を痛快に超え、意味ありげな物語におぼれそうになる私たちの目を覚まさせるのだ。「CAMP」展は東京・六本木のオオタファインアーツ(03・6447・1123)で5月10日まで。

2025年3月24日 毎日新聞・東京夕刊 掲載