「街」1938年、大川美術館蔵

 没後75年以上を経た今も多くの人に愛される洋画家、松本竣介(1912~48年)。そのデッサンを中心とした展覧会「松本竣介 街と人 冴(さ)えた視線で描く」が、京都府のアサヒグループ大山崎山荘美術館で開かれている。「線は僕の気質なのだ」との言葉を残し、デッサンは画家の「計画であり、決意決心」だとつづった松本。対象の本質に迫ろうと重ねた線は、その思考や心情を映し出す。

 デッサン約50点と関連する油彩画16点を、モチーフ別の6章構成で展示する。東京で生まれ、2歳から岩手県で育った松本は、17歳で再び上京。初期には大都会・東京の情景と人々を、みずみずしい感性で描いた。「街」(38年)は、その代表作。画面全体を覆う青緑色に、いくつかの町並みと昭和モダンを感じさせる装いの男女らが黒い線で描かれ、複数の層をなす。同様に街と人を組み合わせたデッサンからは、都市の生きた空気が伝わってくる。

 「街」を中心にした第2章から一転、第3章「建物」では、特定の建物や橋を描いた作品やデッサンが並ぶ。繰り返し描いた「Y市の橋」は油彩画と、墨や木炭で丁寧に描きこまれたデッサン(いずれも44年)、さらに終戦後のデッサン「ジープのあるY市の橋」(45年)を展示。戦況の悪化後に工場や運河を描いたデッサンには、「街」とは異なる都市の顔が浮かぶ。

「Y市の橋」油彩(左)とデッサンの展示=山田夢留撮影

 戦後、松本の表現は抽象度を増し、黒々とした線が画面を走った。最後の章「構図」では、最晩年に模索した新たな「線」を紹介。幼い我が子の鉛筆画に着想を得た作品もあり、「せみ」(48年)では、絵の具を重ねたり拭ったりしてできた複雑な背景に、次男・莞(かん)さんが描いたセミの絵を転写して組み合わせている。

 「少年像」の章には、最愛の莞さんの姿を柔らかな線で捉えたデッサンが並ぶ。「自画像」の章では代表作「立てる像」(42年)のもとになったデッサンを展示。コレクション展示室では企画に併せて、松本が強い影響を受けたルオーやモディリアーニの館蔵品を公開している。4月6日まで。

2025年3月17日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

シェアする