
幕末から明治にかけて人気を博した浮世絵師、豊原国周(くにちか)(1835~1900年)。「明治の写楽」と称されるなど、役者絵の第一人者として活躍する一方、繊細かつ優美な美人画でも人気を得た。今年は生誕190年にあたり、国周にフォーカスした展覧会が同時期に開催されている。
◇大迫力の大首絵 東京・原宿
東京・原宿の太田記念美術館の「豊原国周」展では、役者絵、美人画をはじめ、武者絵や風景画、貴重な肉筆画など、その画業を総覧する約210点が紹介される(前後期で展示替えあり)。
まず見るべきはやはり役者絵だろう。「勧進帳 三升」「けいせい敷島 沢村田之助」など、代表作とされる具足屋刊行の大首絵シリーズがずらりと並ぶ。枠を施した画面いっぱいに力強く表現された相貌や、顔から飛び出しそうなほどに大きくぎりりと描かれた眼が、勢いを持ってぐっと迫ってきて、舞台の臨場感も感じられる。
国周は13、14歳ごろ歌川国貞(三代豊国)に師事したとされるが、それ以前の経歴は諸説あってよく分からない。豪放な性格だったようで、酒席で河鍋暁斎と大げんかし、弟子の楊洲周延が刀を抜いて止めに入った▽117回引っ越しし「絵では北斎にかなわないが、引っ越しの数では勝った」と豪語した▽妻を40回以上代えた--等々、奔放なエピソードに事欠かない。
しかし、型破りな私生活とは裏腹に「画業に対してはすごく真面目で、構図の工夫などにも取り組んでいる」と担当した上席学芸員の渡辺晃さんは話す。
大判3枚の大画面に一人の人物の半身を描くという大胆な構図で描かれた「神力(せいりき)谷五郎豪傑最期図」。三枚一人立役者大首絵と呼ばれる様式で、国周が創始したとされる。人物を大きく描くことで、画面の迫力が増している。国周は晩年に三枚一人立の作品を数多く描いている。

迫力ある役者絵とは一転、繊細な情緒あふれる美人画の秀作も多い。「開化三十六会席」は有名料理屋とともに芸者を描いたシリーズ。「開化三十六会席 代地 巴屋」に描かれるのは、浅草・柳橋にあった料亭巴屋から雨の中、傘を開いて今まさに店を出ようとしている女と、傘を差し左手にちょうちんを持って歩き出そうとしている男。通りすがりに偶然出くわしたような、何気ない場面を巧みに描いた。雨を含んでしっとりとした空気まで匂い立つようだ。
一日の各時刻の女性を描いた「見立昼夜廿四時」シリーズも趣がある。さまざまな身分や職業の女性が題材にとられ、当時の風俗がうかがえて面白い。26日まで。
◇師・国貞と競演 東京・丸の内
国周とその師匠、国貞作を中心として役者絵に焦点を当てたのが、東京・丸の内の静嘉堂文庫美術館で開催中の「歌舞伎を描く」展だ。4章構成で、江戸初期から幕末明治までの役者絵の歴史をたどっている(前後期で展示替えあり)。
国貞、国周が活躍した幕末から明治は、歌舞伎界は九代市川団十郎、五代尾上菊五郎、初代市川左団次の「団菊左」が人気を博した時代。静嘉堂を創設した、三菱2代目社長の岩崎弥之助とその妻、早苗は五代菊五郎がごひいきだった。神奈川・大磯の別荘地を提供したという逸話も残る。
早苗夫人は、大判の錦絵を貼り合わせて折り帖(じょう)に仕立てたオリジナルの錦絵帖を多く所蔵していた。本展の2章、3章では、早苗夫人が愛蔵していた錦絵帖が紹介される。
注目は「梅幸百種」。五代菊五郎(俳名・梅幸)の舞台姿と、コマ絵に俳句などを描いた大判100枚からなる揃物(そろいもの)だ。五代菊五郎に至るまでの当たり役が選ばれた。静嘉堂所蔵の本作は、目録付きで一冊の錦絵帖の表裏に100図全てが貼りこまれている。
見返しの右下には版元の具足屋にちなみ甲冑(かっちゅう)のデザインの朱印が貼ってあり「画帖師/錦絵問屋/人形町具足屋」と記されている。「画帖師という言葉は他で見たことがない。早苗が版元に特別に注文したものではないかと推測しています」と担当学芸員の吉田恵理さんは話す。
「五世尾上菊五郎の土蜘(つちぐも)と市川左団次の平井保昌」は、土蜘の手を画面枠を破って表現することで、コマ絵に描かれた保昌にめがけて、千筋の糸をパッと投げたその瞬間の舞台の様を見事にとらえた。舶来の染料によるビビッドなピンク色が映える。刷り立てのような、色鮮やかさには驚くばかりだ。さぞや大切にされていたのだろう。改めて浮世絵の美しさと奥深さが堪能できる展示となっている。23日まで。



2025年3月17日 毎日新聞・東京夕刊 掲載