
蔦重こと、蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)(1750~97年)の名前をNHKの大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺(えいがのゆめばなし)~」で初めて聞いたという人も多いことだろう。蔦重は18世紀後半、田沼意次や松平定信の時代に活躍した版元。現代で言うところの出版社の経営者である。
蔦重は吉原遊郭の門前にあった小さな本屋で身を立てた。戯作者(げさくしゃ)や絵師といった人気の文化人たちと親しく交流し、巧みな販売戦略を立てながら、絵本や小説などのヒット作を次々と刊行した。ついには商業の中心地である日本橋に店舗を構えるほどに大きく成長するが、風紀を乱す出版物を刊行した罪で奉行所に取り締まられ、財産の多くを没収される窮地に陥ってしまう。しかし、蔦重は逆境にめげることなく、喜多川歌麿や東洲斎写楽といった絵師たちの作品を売り出し、浮世絵の世界に一大旋風を巻き起こした。
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浮世絵版画は、江戸時代、大衆向けの娯楽として販売されていた。浮世絵を語る時、葛飾北斎や歌川広重などといった絵師たちばかりが注目されるが、実際に浮世絵版画の制作を指揮していたのは版元であった。版元は世間の流行を探りながら、売れる浮世絵の企画を考え、絵師はもちろん、彫師(ほりし)や摺師(すりし)といった職人たちを取りまとめながら作品を完成させる。さらには、自分の店で浮世絵の販売もしていた。
版元によって懇意にしている浮世絵師は異なるし、商才次第で売り上げにも大いに差が出る。現代でも、アイドルや歌手といった芸能人たちを売り出すプロデューサーの役割が注目されるが、江戸時代の浮世絵も、版元というプロデューサーなくしては商売が成り立たなかったのである。
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蔦重が発掘した逸材の一人が、喜多川歌麿という美人画の名手であった。蔦重は歌麿の才能を若い頃から見抜き、時には自らの店に仮住まいさせるほど手塩にかけていた。
歌麿の代表作となる浮世絵が、女性の上半身を大きくクローズアップした、大首絵と呼ばれる美人画である。これまでの美人画は全身像を捉えることが一般的だったが、歌麿は女性の顔や表情を繊細に描き、心の内面までも掘り下げようとした。
蔦重が見出(みいだ)したもう一人の逸材が、その正体が謎として取り沙汰されてきた東洲斎写楽である。蔦重が写楽をプロデュースするプランはあまりにも異例であった。浮世絵師は若い頃から小さな仕事を積み重ねることで版元に認められ、大きな仕事を与えられるものである。しかし蔦重は、それまでプロの絵師として活動していない無名の人物を抜擢(ばってき)し、歌舞伎役者の似顔絵を画面いっぱいに描かせた。しかも、一挙に28点の役者絵をリリースするという、これまでに前例のない華々しいデビューの飾らせ方であった。
蔦重は写楽の才能によほど惚(ほ)れ込んでいたのであろう。「三代目大谷鬼次の江戸兵衛」に見られる、吊(つ)り上がった眉に一文字に伸ばした口、突き出したアゴといったような、役者の顔のパーツを極端に誇張する表現は、浮世絵界に大きなインパクトを与えることになる。
歌麿や写楽の浮世絵が歴史に残る傑作となったのは、当然のことながら、絵師たちの卓越した才能によるものであろう。しかし一方で、彼らの才能を見抜き、世間に広く売り出したいと願う蔦重の情熱がなければ、歌麿も写楽も世に埋もれていた可能性がある。
蔦重は戦略を練り、時には絵師をおだてたり、時には彫師や摺師と喧嘩(けんか)したりしながら、満足いく浮世絵を完成させるために奮闘していたことだろう。そんな姿を想像しながら浮世絵を眺めると、裏に隠された人間ドラマが浮かび上がってくるのである。
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◇大河で脚光、展覧会続々
NHKの大河ドラマ「べらぼう」では、蔦屋重三郎を「日本のメディア産業、ポップカルチャーの礎を築いた」人物として紹介。今年がラジオ放送開始から100年にあたることから、幕府の迫害に負けなかった「江戸のメディア王」ともいうべき蔦重を、節目の年に大きく取り上げてドラマ化した。大河ドラマがこの時代を主な舞台とするのは初めてだという。蔦屋重三郎は横浜流星さんが、喜多川歌麿は染谷将太さんが演じている。
浮世絵を紹介する展覧会も相次ぎ、東京国立博物館(東京・上野)では、特別展「蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」が4月22日から、太田記念美術館(同・原宿)では「蔦屋重三郎と版元列伝」が8月30日から開催予定。
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■人物略歴
◇日野原健司(ひのはら・けんじ)さん
1974年、千葉県生まれ。浮世絵専門の美術館である東京・太田記念美術館の学芸員として、さまざまな浮世絵の展覧会に携わる。編著に『北斎 富嶽三十六景』(岩波文庫)がある。
2025年2月3日 毎日新聞・東京朝刊 掲載