「私たちの学会が何を見て、何を見落としてきたのか、今なお見えていないものは何かを問い、これからの研究の可能性を探りたい」。そんな言葉を聞いたのは、11月にあった明治美術学会40周年の記念シンポジウムであった。「近代」や「日本」「美術」について概念を疑い、視点の更新を迫るものだったが、これは、表現行為やそれを紹介する美術展についても言えるだろう。
同学会で、「美術におけるカノン(規範、正典)」はもはや存在しないと言及があったときに、思い浮かんだのは60回目を迎えたベネチア・ビエンナーレ国際美術展だった。「カノンの解体」を如実に体現するような展示だったからだ。カノンを支えてきた西洋中心主義を積極的に解体するかのように、先住民、性的少数者の作家、グローバルサウスの作家が大半を占めていた。
各国のパビリオンが同様の視点で展開するなか、目立ったのが、軽やかなスタイルで気候変動に言及した日本館の毛利悠子だった。初の外国人キュレーターとして韓国出身のイ・スッキョンを迎えて、時代にそぐわない国別パビリオン制度に一石を投じた。さらに東京・アーティゾン美術館での個展では、大空間で持ち味である有機的広がりを鮮明に感じさせた。
領域を拡張し、横断し、かきまぜる。そんな点で荒川ナッシュ医(えい)展(東京・国立新美術館)も越境する魅力を示した。
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過去の自分と向き合い、表現を更新し続けることはたやすくないはずだ。それでも問い直しをやめない作家がいる。新しい何かが生まれる過程を目撃できるのは、現存作家の展示を見る醍醐味(だいごみ)の一つだ。
美術館の空間を生かした写真の展示を、早くから試みてきた石内都。「STEP THROUGH TIME」(群馬・大川美術館)は、多数の小部屋で構成する美術館のつくりとあいまって、過去の変化に立ち会いながら、時間をたどるようなおもしろさがあった。鴻池朋子が多数の「他者」と共に作った青森県立美術館の「メディシン・インフラ」は、作家主義に対する問題意識が強く表れていた。内藤礼は東京国立博物館で、多くの人が行き交うという特性を織り込んだ展示を試みた。「生まれておいで 生きておいで」では、空間に対する意識に変化の兆しも見られた。
「回顧展」の意義を改めて確認した年でもあった。
1990年代、共に55歳で死去した、木下佳通代と吉田克朗の回顧展(前者は大阪中之島美術館と埼玉県立近代美術館、後者は同館と神奈川県立近代美術館葉山)はとりわけ充実していた。このたびが本格的な美術館初個展であり、回顧展でもある。ということは、作品や資料を保存し、整理・調査するという地道な行為なしには成り立たなかっただろう。現在の目で再評価し、未来につなぐという意味でも意義深かった。
ベテラン勢の個展も目立った。松谷武判(たけさだ)展(東京オペラシティアートギャラリー)、今井祝雄(のりお)展(兵庫・芦屋市立美術博物館)、小清水漸(すすむ)展(同・宝塚市立文化芸術センター)が開催された。出発点である「具体美術協会」や「もの派」といった美術史上の動向を切り口に語られがちな作家の、その後半世紀にわたる軌跡を丁寧に振り返っていた。
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歴史の見直しといえば「ハニワと土偶の近代」(東京国立近代美術館)は新鮮な驚きをもたらした。同時期に開催された「はにわ」(東京国立博物館)では「カワイイ」という声がたくさん聞こえてきたが、かつては戦意高揚に用いられていた。まなざしは移ろうが、私たちはすぐ忘れてしまう。
近世日本美術では、近年はとかく「奇想」ばやりだが、英一蝶(はなぶさいっちょう)展(東京・サントリー美術館)、池大雅展(同・出光美術館)は、時代の表現の多彩さを堪能させた。
シンガポール出身のホー・ツーニェンの個展(東京都現代美術館)は、植民地主義下の東南アジアと日本との関わりを視覚メディアの引用とリミックスで巧みに見せた。中国系インドネシア人作家ティンティン・ウリア展(広島市現代美術館)も含め、重い歴史を、展覧会というフォーマットを通して、直感的、かつ普遍的に差し出すものだった。
大阪・国立国際美術館の「身体---身体」や東京都現代美術館の豊嶋康子展をはじめ、女性作家を軸にしたり、女性に特化したりしたコレクション展も目を引いた。
ベテラン女性作家の活動を再評価する流れをつくった東京・森美術館では、その延長上にあるといってもいい、ルイーズ・ブルジョワ展を開催した。大阪中之島美術館の「決定版!女性画家たちの大阪」では、大阪で活躍した近現代の日本画家を特集。研究の進展が期待される。
今起きているできごとについてはどうか。第8回横浜トリエンナーレと、東京・国立西洋美術館であった初の現代美術展「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」は、アートと社会運動との距離について考えさせた。自ら行動するアーティストに光を当てた前者、展示室の外でガザ侵攻を巡って参加作家がアクションを起こした後者。アーティストの行動はどこまでが歓迎されて、どこまでが歓迎されないのか。美術館が議論の場となることは歓迎されるのか。後者では、結果的に美術館に警察官が入ることを許したが、こうした事例を美術界はどう受け止めるのか。
後者に参加した梅津庸一は、「クリスタルパレス」(国立国際美術館)で、現在進行形で「つくる」と向き合う中堅作家の姿をカオスの様相で見せていた。
◇DIC美術館、休館発表
美術館を取り巻く環境は厳しい。国立新美術館では来春開催の展覧会のために費用を募り、京都市京セラ美術館の村上隆展では、ふるさと納税を活用して5億円超を集めた。マーク・ロスコやフランク・ステラら米国現代美術のコレクションで知られるDIC川村記念美術館(千葉)は、運営するDICが来春での休館を発表。現地での存続が危ぶまれるという事態に、衝撃が走った。
近年国際的に評価が高まっていた2人のアーティストが、亡くなった。グラフィックデザイン、アートと領域横断的に活躍した田名網敬一は国立新美術館で、独自の陶表現を追求した三島喜美代は東京・練馬区立美術館で個展が開催中だった。また、戦後の西洋美術研究の第一人者、高階秀爾が死去した。国立西洋美術館館長、大原美術館(岡山)館長などを務め、研究者から愛好家まで与えた影響は計り知れない。
東洋独自の花鳥画を追究した日本画家の上村淳之、深い精神性をたたえた木彫りの半身像で知られる彫刻家の舟越桂が鬼籍に入った。
2024年の展覧会3選
■佐藤康宏(東京大学名誉教授)
①神護寺 空海と真言密教のはじまり(東京国立博物館)
②雪舟伝説 「画聖」の誕生(京都国立博物館)
③仙境 南画の聖地、ここにあり(和歌山県立近代美術館、和歌山・田辺市立美術館、同・熊野古道なかへち美術館)
①は「薬師如来立像」を見やすい環境で展示したのが第一の功績。②は雪舟に追随し逸脱する近世の画家たちの多彩な反応が興味深い。③は南画の生命が明治以降も受け継がれ再生したさまを示す。
■中村史子(大阪中之島美術館学芸員)
①シアスター・ゲイツ展:アフロ民藝(東京・森美術館)
②北川民次展-メキシコから日本へ(名古屋市美術館、東京・世田谷美術館、福島・郡山市立美術館<※25年1月 開幕予定>)
③荒川ナッシュ医 ペインティングス・アー・ポップスターズ(東京・国立新美術館)
移住、社会的正義と表現、戦時体制、民衆や職人との協働、美術教育。民次が挑んだ課題に、現在も多くのアーティストが各々(おのおの)取り組んでいる。その希望を感じさせる展覧会を選んだ。
2024年12月23日 毎日新聞・東京夕刊 掲載