豊田市博物館内部の「えんにち空間」=五十嵐太郎氏撮影

【この1年】建築 被災地に木のぬくもり

文:五十嵐太郎(建築史家・東北大大学院教授)

建築

 2024年は能登半島の大地震から始まった。東日本大震災のときに比べると、建築界の動きはやや遅れているが、坂茂らは石川県珠洲市にシンプルな構法による木造の仮設住宅を完成させている。その坂は、個性的な素材の使い方と世界各地の難民や被災者の救済活動が高く評価され、今年、高松宮殿下記念世界文化賞の建築部門を受賞した。また谷口吉生の名作として知られる豊田市美術館(1995年)の隣に、坂が設計した豊田市博物館も、4月にオープンしている。ランドスケープを担当したピーター・ウォーカーを再起用し、二つのミュージアムの外構をつなげると同時に、博物館には大きな木造の列柱を持つ21世紀的なデザインを導入した。

 日本建築学会賞(24年)は、石上純也のハウス&レストラン、向山徹による岩国のアトリエ、山崎健太郎のデイサービスセンター「52間の縁側」が選ばれた。いずれも都市部の大規模建築ではないが、ていねいにつくられたプロジェクトである。とくに洞窟のようなハウス&レストランは、地面に穴を掘り、コンクリートを流し、固まった後に土をとりのぞくという驚くべき構法によって実現された。

 東京では、再開発による巨大プロジェクトが続くが、どこも資本を回収するための商業空間ばかりで、むしろJR大阪駅前に出現したグラングリーン大阪の広大な「うめきた公園」の心地よさが新鮮だった。基本設計は日建設計が担当し、SANAAによる半屋外の大屋根のイベントスペースは広場と一体化する。23年には旧大名小学校の校庭を緑地に変えて開放した福岡大名ガーデンシティが登場していたが、東京にもこうした空間が欲しい。

 東京で異彩を放ったのが、三田のガウディと呼ばれる岡啓輔の蟻鱒鳶(アリマストンビ)ルである。05年に着工し、セルフビルドで今年ようやくほぼ完成を迎えた。が、その途中で再開発がかかり、完成前から保存運動が起き、最終的に来年は曳屋(ひきや)によって少し位置をずらすことで決着した。速度と効率が求められる現代社会において、長い時間をかけて即興的な装飾に覆われたデザインは、比類なきユニークさを誇る。

蟻鱒鳶ルの外観=五十嵐太郎氏撮影

 商業施設としては、平田晃久らが手がけ、眺めが良い屋上テラスをもつ東急プラザ原宿・ハラカドが、斜向(はすむ)かいにたつ中村拓志による東急プラザ表参道・オモカド(12年)の屋上庭園と呼応し、建築的な対話を試みたのが興味深い。平田の個展「人間の波打ちぎわ」は、独創的な建築思想をひもとく意欲的な内容であり、会場だった練馬区立美術館の建て替えプロジェクトも紹介していた。

 建築展としては、構造の視点からデザインを読みとく「感覚する構造 法隆寺から宇宙まで」(WHAT MUSEUM)や、約40組が参加した台湾住宅建築展(せんだいメディアテーク)が印象的だった。特に後者は、これだけまとまって台湾の建築が日本で紹介された初の企画だろう。

 保存関係では、次の二つのプロジェクトが特筆される。安田幸一の設計・監理によって、モダニズムの名作、土浦亀城邸(1935年)が、ポーラ青山ビルディングの敷地内に移築されたこと。そして清水建設による温故創新の森NOVAREにおいて、会社の2代目店主が手がけた旧渋沢栄一邸(1878年)の移築・修復をしたことである。

 6月には1960年代から活躍した巨匠の槙文彦が逝去した。彼は約30年かけた代官山ヒルサイドテラスの建築群(69~98年)や青山のスパイラル(85年)など、都市の文脈を踏まえたデザインで知られる。論客でもあったが、変貌する東京の風景に対し、どのような意見を表明しただろうか。

 ◇今年の建築3選

・豊田市博物館(愛知県)

・蟻鱒鳶ル(東京都港区)

・うめきた公園(大阪市)

2024年12月19日 毎日新聞・東京夕刊 掲載

シェアする