「近代日本美術」の枠組みを揺さぶり、押し広げてきた明治美術学会(会長・木下直之静岡県立美術館館長)が発足40年を迎えた。記念する国際シンポジウム「明治から/明治へ-書き直し近代日本美術」が11月23、24日、東京都内であり、これまでの歩みを振り返ると共に、新たな研究の可能性について意見を交わした。
明治美術学会は1984年に近代日本美術の研究・調査を目的に設立。大学の研究者だけでなく、美術館・博物館学芸員や修復家らも参加するのが特徴だ。開会のあいさつで木下会長は、88年のシンポジウム「日本近代美術と西洋」に触れ、「当時は日本と西洋という二項対立が疑われていなかったが、今は少なくとも、東西ではなく東西南北という視点が求められる。そのほかにも40年前は見えていなかった問題が今は見えている」として、永続的な「書き直し」を呼びかけた。
1日目のテーマは「近代日本美術研究はどう変わったか」。基調講演では、渡辺俊夫・英セインズベリー日本芸術研究所教授が、美術における「カノン(規範、正典)」について、西洋中心の価値観が色濃く、近代日本美術史が学問分野として存在しなかった60年代英国での体験を挙げながら「普遍的な価値観は存在しない」と発言。一見自明な「近代」「日本」「美術」の各概念も「流動性がある」と話し、その後の議論の流れをつくった。また、美術家の森村泰昌さんは青木繁の「海の幸」を取り上げ、制作者の視点から豊かな読みの可能性を示した。
では、どのようなものが「カノン」からこぼれ落ちていたのか。討議では、児島薫・実践女子大教授が「この学会では今でいうジェンダーの視点が弱かった。今後の課題だ」と指摘。さらに、カノンを作ってきた東京国立近代美術館のコレクションには竹久夢二や山下清、高橋由一さえ一点もないといい、書については「少しだけ。担当研究員はいない」(大谷省吾・同館副館長)ということも示された。
2日目は、次世代研究者フォーラムがあり、旧植民地・旧占領地と日本の関係、南画や民芸運動といった表現領域について研究の現在地が紹介された。
最後のセッションは切実な問いかけを含みつつ、学会の今後の方向性を示すものでもあった。吉良智子・日本女子大学術研究員は、90年代後半のジェンダー論争と、故千野香織さん(学習院大)による研究・批評の意義を振り返り、彫刻家・評論家の小田原のどかさんは社会的課題と接続しながら展開してきた活動について報告した。
吉國元・国立ハンセン病資料館学芸員の言葉は示唆に富んでいた。「ハンセン病療養所での絵画史は放置されてきたが、美術史的に位置づけることは必ずしも最終目標ではない。位置付けた途端に見えなくなるものがあると考えるからだ。美術史という枠組みの外に出て、何か見落としているものがあるかもしれないと自覚しながらそれぞれの作品に向き合うこと、作品を残せなかった人たちの存在も含む歴史を考えていくことが必要ではないか」
2024年12月2日 毎日新聞・東京夕刊 掲載