昨年6月に画家の野見山暁治(ぎょうじ)さんが102歳で亡くなり、この間、各地で追悼企画が開かれてきた。東京・練馬区立美術館で開催中の「追悼 野見山暁治 野っ原との契約」展では、息を引き取るまで「絵描き」だった野見山さんの長い画業を、主にコレクションからたどることができる。
福岡県穂波村(現飯塚市)の炭鉱町の生まれ。まず、1937年に描かれた自画像(展示終了)に目が留まる。上京して東京美術学校に入る前の、まだ何者でもない青年の姿。筆致は荒々しくも形態を巧みに捉えている。黒目がちな丸い目で、鏡のなかにどんな自分を見ていたのだろうか。
フランス留学時代までの前期(10日まで)と、帰国後から晩年までの後期(12日~)に分けて展示している。印象的な展覧会名「野っ原との契約」は、著書『署名のない風景』からとったという。さまざまな意味が重ねられているにしても、風が吹き抜ける場所である「野っ原」という言葉は実に野見山さんらしい。
具体的な風景や物の姿が抽象性を帯びていくとともに、重力から解き放たれたかのように軽やかさを増していく。原風景のボタ山や異郷の欧州で再会した炭鉱地帯、福岡県糸島市のアトリエから望む海の躍動も、やがて心象風景として表されるようになる。
青春時代に戦争を経験し、「死の側からものを見てきた」と語っていた野見山さん。絶筆としてアトリエに残されたうちの一枚(題不詳、2023年)には、心の内のエネルギーが満ちている。なめらかで力強い多様な線が、中央に向かって回転しながら形をつくっていて、一瞬に駆け抜ける風を思い出す。描くことを「仕事というよりは、道楽じゃないかなという気がするんです」と話していたが、生死の境を経た末に生まれたしなやかさであり、とらわれなさであり、躍動感なのだろう。
繊細に画面が構築されたドローイングや、創作の場となった篠原一男設計の練馬と糸島、二つのアトリエについても紹介している。12月25日まで。
2024年11月18日 毎日新聞・東京夕刊 掲載